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国家、公「おおやけ」「こう」、公共の意味とその正体:憲法から考える国政と主権

ベーシックインカム(以下BI)、私の提案ではベーシック・ペンション(以下BP)を論じる時、何割かの人は、それが制度化されることで、私たちが国に隷属することになる、国の奴隷となる、という表現を用いて反対します。

その時、その反対意見を述べる人々は、何をもって「国」としているのか。
その時の「国」とは一体誰、何なのでしょうか。


国とは

国とは、Wikipediaによると、一般的に、
住民・領土・主権及び外交能力を備えた地球上の地域のことを指し、ほとんどの国が憲法を成分法で作成し、自国の権利や能力を他国に表明している。
とあります。

なるほど、一般的な定義かな、という感じです。
ではついでに、国家とはなんでしょう。

国家とは

同じく、Wikipediaによると

国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織で、その地域に居住する人々に対して統治機構を備えるもの。
領域と人民に対して、排他的な統治権を有する(生殺与奪の権利を独占する)政治団体もしくは政治的共同体
政府機能により異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的とし社会の組織化をする

「国」に「家」が付くことで、なんともきな臭い、癖のある定義に変身してしまいました。
生殺与奪の権利を独占し、排他的な統治権を有して行使する。

こうなると、現状の共産党独裁習近平中国や、気違い金正恩が権力を独占する朝鮮労働党体制下の北朝鮮、そして軍部のクーデターにより今このとき抗議する国民を弾圧し殺傷するミャンマーなど、現実に存在する「国家」をイメージできるわけです。

国、国家自体がその危険性を持っている。
何よりも、その定義において「政治団体」もしくは「政治的共同体」とあることに注意が必要です。
「政治的共同体」と言われれば、政党をイメージさせるとともに、その政治を特定政党に委ねる住民・国民の行為自体が、共同体を形成するという拡大解釈に結びつく安心感がまだあります。
しかし、「政治団体」となると、危うさを感じさせられます。
先述の国の事例などは、まさにそのリスクが顕在化した格好の事例と言えるわけですから。

例示した国々と同類・同様の国は他にもあるわけで、ベーシックインカム、ベーシックペンションを巡る議論においてそのようなリスクを指摘することもやむを得ないかな、という気がしないでもありません。

ただ、上記の定義の中でもう一つ、「社会の組織化をする」という表現にもひっかかるところがあることを添えておきたいと思います。

主権在民の行使により、住民主体の国政を行う「国」「国家」を創出する

ここで、その「国」「国家」を統治する機構を考えると、基本的には、政府すなわち、国政を担う組織及びそのリ-ダーが存在し、これが「国」「国家」を代表していると定義できます。
従い、領土や人民の2要素はそのままとして、政府、その組織やリーダーが変わることで、国、国家の在り方、すなわち政治・行政が変わるわけです。

時の政府が、国民に対して、BIあるいはBPを支給することと引き換えに、基本的人権の全てや一部を制限し、あるいは奪ってしまう。
それを防止するには、憲法や法律でBI、BPの目的等を明確に規定し、基本的人権などの規制に及ばないようにする。
あるいは、そうした悪政を行わない国政レベルの政治的組織を選択しない。
それらが機能すれば、先の懸念は払拭されます。
要するに、国民が、そうした国政を担当する組織とリーダーの生殺与奪の権利を本来持っており、それを正当に行使すればよいわけです。
そこに思い至らなければ、反論する人自身が、そうした国、国家とその権力をもつ組織・リーダーを望む性向を持つと考えてもようのでは、と逆説的に考えてしまいます。
仮にそうでないとすれば、ただ、BIやBPの理解不足が理由ということです。

国、国家に不可欠なもう一つの要素「主権」は、国民・住民にあることを、私たちは強く、再認識しておく必要があります。

公、「おおやけ」「こう」とは

そこで、明らかになった「国」及び「国家」の国政の在り方を考える時、もう一つその意味を確認しておく必要がある言葉、用語があります。
公、「おおやけ」、あるいは「こう」についてです。

まず、「おおやけ」とは
1)政府、官庁、国家
2)個人の立場を離れて全体に関わること、社会、公共

とあります。

次に、「こう」とは
1)国家や社会の全体に関係する事柄、おおやけ
2)国や官に関わること、おおやけ
3)世間一般

禅問答をしているようなものですが、両方に、「社会」「公共」「全体」という表現が共通に出てきました。
そして「個人」の立場を離れた「公おおやけ」と、「個人」との関係の在り方を考えるきっかけがここに示されてもいます。
「国」「国家」と「社会」「公共」との関係、そして「個人」との関係の在り方が当然課題になってくるわけです。

それでは、「公共」とは何でしょう。

公共とは

公共とは、
社会一般おおやけ、社会全体、国や公共団体がそれに関わること
というのが、辞書的解釈です。
それでは、漠とし過ぎています。

私の解釈をお許し頂ければ
1)公(おおやけ、こう)を共(とも)にすること、公を共同・共有すること、及び
2)「共同」「共有」の在り方を、「公(おおやけ)」と結びつけて規範・基準・規定化したコト、モノ
を意味する
とします。
こうなると、「公共」という言葉に、動きや意味が感じられるようになるのではないでしょうか。
「公」と「共」の関係の在り方を包括する意味を持つのが「公共」でもあるのです。

憲法で規定する国政及び国家概念

憲法の前文に

国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

とあります。
この国政の及ぶ範囲が、「国家」「国」という最大の社会単位です。

そして憲法の以下の条文に、国政すなわち国の行政を統括する内閣が規定されています。

〔行政権の帰属〕
第六十五条 行政権は、内閣に属する。


従い、内閣を構成する政治グループ・政党が、国民が信託した国政権限を保有して行使し、国民が享受する構図が言うならば国家の在り方と言えるでしょうか。
憲法前文では「権力」と表現されているところを、私はここで「権限」と読み替えています。

もちろんその国政は、憲法を筆頭とする法律に基づいて、行使されるべきものです。
そしてその法律を制・改定するのが、立法府である国会であり、この国会議員を選出するのが国民ということも憲法に規定されています。

〔国会の地位〕
第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

こうして、国政の在り方を規定した憲法の当該条文で、「国」「国家」の所在が明らかになってきました。
それは、

主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する

と憲法の前文及び本条文に示された「主権在民」理念及び規定の基づくものであることを、ここで再度確認しておきたいと思います。

ここに来て、国、国家の在り方は、個人と個人が形成する社会が、憲法が規定する国政の在り方を十分理解し、その権利を行使することで、決められることが分かりました。

ただ現実的に国政を望ましい形で管理運営していく上で、より詳しく、的確に理解していくべき課題が、憲法上に残っています。
憲法のいくつかの条文には、「公」や「公共」そして「公」務員という用語を用いた規定があります。

また、国政・行政を進める時に、「公的」「公共」という表現が頻発しますし、「地方公共団体」である地方自治体も行政機能を「国」と共に、あるいは分担して担っています。

こうしたそれぞれの行政に取り組む上で用いられる「公」なるもの、「公的」なもの」とは、現実的には一体どういうモノ、コトなのか。
注意深く考え、その利用・執行などに当たっては、間違いのないよう、公正に判断され、法に基づき運用される必要があります。

なぜなら、現状の政権政党である自民党が提起する憲法改正案自体に、現状の憲法に規定する国政の在り方や国・国家の在り方を否定している性格を見るのです。
そして、特定の組織や団体への利益誘導や、自らを国家として本来国民から信託しているはずの行政行使のための権力を自政治団体に集中・集約させることを政治目的とするかの性質も読み取ることができます。


次回、そうしたリスクを孕んだ現実に極力視点・焦点を当て、望ましい国政が行われる社会組織の整備、拡充に寄与できるよう公的なるものや公共に関して考えてみることにします。

(参考) ⇒ 【日本国憲法】

 

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