
リスクとコストにも支え合いを求めるリベラル保守の正体:『枝野ビジョン』を読むー5
立憲民主党代表枝野氏自身が、満を持して、今秋ある衆議院議員選挙前に向けて自ら著わし、刊行した『枝野ビジョン 支え合う日本 (文春新書)』(2021/5/20刊)。
その内容を読み、考えるところを述べていくシリーズを進めてきました。
◆ <プロローグ>:日本人はどこに向かうのか:「日本人価値観調査」から、コロナ後、望ましい2050年への政治を考える(2021/7/1)
◆ <第1回>:リベラルな日本を保守するという意味不明:『枝野ビジョン』を読むー1(2021/7/3)
◆ <第2回>:コロナ禍による日本の課題認識と新自由主義批判は自分に還る:『枝野ビジョン』を読むー2(2021/7/4)
◆ <第3回>:未だ不明の支え合い、社会、政治と行政の正体:『枝野ビジョン』を読むー3(2021/7/5)
◆ <第4回>:漢方薬的薬効に頼る政策は政策にあらず:『枝野ビジョン』を読むー4(2021/7/6)
と続き、一応最終回とする予定の今回第5回は、<第9章 「機能する政府」へのアプローチ>と<第10章 支え合う社会のためのいくつかの視点>がテーマです。

第9章 「機能する政府」へのアプローチ
以下が、本章の構成です。
1.信頼できる「機能する政府」へ
・リスクとコストを分かち合う機能
・社会保障への信頼を高める
・すべての人の「支え合い」のための財源
・公共事業から「支え合い」の社会保障へ
・地方の活性化のために
2.「一律支援」による公平で効率的な行政
・子ども手当は「バラマキ」だったのか
・支援の対象を選択する「既得権」
・所得制限による行政コスト
3.「現物給付」による「安心」
・「ベーシック・サービス」の必要性
・必要なサービスは幅広い
・大切なのは「余力」
「機能する」という言葉、表現は私も好んでよく使います。
政府が機能する。
意味が分からないわけではないですが、機能していない政府があるから出てくる言葉。
機能しない最大の理由は、政府自体に、政治とはどうあるべきか、政治で何をやるかの準備ができていないためと、実務を担当する官庁・官僚がしっかり機能するように、働くようにガバナンスとマネジメントを行えない、行っていないため、ということ。
そう考えると、財源がどうとか、「支え合い」がどうとかいう以前の問題というべきでしょう。
枝野氏がそう言うからには、立憲民主党が、機能する政府と機能させるべき政治課題をしっかりイメージできているかどうかが問われるわけです。
そのために真っ先に出てきたのが「リスクとコストの分かち合い」。
どうも、安心を享受できるためには、先にリスクとコストを分かち合うことが求められるようで、少々不安がよぎります。
こう言います。
「お互いさまで安心できる支え合いの社会」を作るためには、「大きな財政」は避けられない。効率的な「小さな政府」と「大きな財政」は両立するが、「小さな財政」で安心できる支え合いの社会を作るのは不可能だ。政治はこのことから逃げてはいけない。
(略)
ここで必要としている財源は「弱者」のためのものではない。すべての人の「支え合い」のための財源である。
どうですか?
何か、自民党が言っているような気がしてきませんか?
これが、保守本流を自負する枝野氏、立憲民主党代表の枝野幸男氏の基本認識?
こう断言すると、私は、枝野ビジョンは、ユニバーサル・ベーシックインカムを前提として考えているのかと、瞬間思ってしまうのですが、「支え合い」のための財源を標榜するということは、そうではあり得ない。
これが、結局、立憲民主党に期待することがムリである決め手になるような気がするのです。
確かに、少ない財源でより大きな効果を生むための努力を怠ってはいけない。しかし「政府は小さいほど良い」「公務員は少ないほど良い」というのは、現在の日本社会ではもはや時代遅れだ。私はそのことを明確に訴えていく。
時代遅れ、という表現をここで用いることの時代錯誤性。
政府の大小云々という言い方、言い回しで財源不足をめぐる問答を続けることの時代遅れを嘆かねばいけないはず。
必要な政治と行政を、効果的に機能させるために必要な規模と質の政治と行政を機能させる。
そのために必要な財源・財政の適正なあり方を考えるのが、政治の最も重要な課題であり、政府の責任の最たるもの。
そう発想転換すべきであり、「支え合い」のために、国民全員が「リスクとコスト」を分かち合うべきと端から脅すのは、政治家としての資質を疑われても仕方ない。
私はそう思います。
一方で、一律支援の必要性を訴えていたりするので、やはりベーシックインカムをイメージしてはいるのかな、と再度思ったりするのですが、「現物給付」方式の「ベーシック・サービス」を持ち出してくると、立憲民主党の政策にうたっていることなので驚きはしませんが、結構矛盾している考え方であることを気に留めていないのが、残念でなりません。
(参考)
◆ 立憲民主党のベーシックインカム方針:ベーシックサービス志向の本気度と曖昧性に疑問(2021/4/6)
「現物給付」は、必要な人、ケースにばらつきがあり、平等とは言い切れないのです。
また医療費で考えて頂けるとわかりますが、現物給付の方が青天井で、際限のないコスト負担に膨張する可能性、リスクが高く、ベーシック・サービスの運営管理に関する基準・規定が提示されないままであることがその課題の困難さを示しています。
現物給付サービスの領域が広いのは当然ですが、個々のサービスごとに行政システムで適切に対応できるのです。
そして何より、現物給付よりも現金給付の方が、多種多様な困難な状況において、有効・有用であることは明確です。
当サイトの基本的な認識に基づく政策提案の軸になっているのが、日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金の実現。
是非多面的に論じ、提案している、専門サイト http://basicpension.jp を確認頂ければと思います。
なお、ベーシックペンション論に対しての反論は、以下のシリーズで既に展開済みです。
併せて、確認頂ければ幸いです。
1.今野晴貴氏「労働の視点から見たベーシックインカム論」への対論(2020/11/3)
2.藤田孝典氏「貧困問題とベーシックインカム」への対論(2020/11/5)
3.竹信三恵子氏「ベーシックインカムはジェンダー平等の切り札か」への対論(2020/11/7)
4.井手英策氏「財政とベーシックインカム」への対論(2020/11/9)
5.森 周子氏「ベーシックインカムと制度・政策」への対論(2020/11/11)
6.志賀信夫氏「ベーシックインカムと自由」への対論(2020/11/13)
7.佐々木隆治氏「ベーシックインカムと資本主義システム」ヘの対論(2020/11/15)
8.井手英策氏「ベーシック・サービスの提唱」への対論:『未来の再建』から(2020/11/17)
9.井手英策氏「未来の再建のためのベーシック・サービス」とは:『未来の再建』より-2(2020/11/18)
10.ベーシックサービスは、ベーシックインカムの後で:『幸福の財政論』的BSへの決別と協働への道筋(2020/11/26)

第10章 支え合う社会のためのいくつかの視点
第10章の構成は以下のとおりです。
1.再分配の財源をどう確保するか
・ムダ削減と国民負担
・まずは支出増の先行を
・直間比率の「逆見直し」を
・時限的消費減税の考え方
・所得の低い方々には減税より給付
2.主役となる基礎自治体
・基礎自治体こそが主役
・「地域に密着」が求められる理由
・交通・通信が発達したからこそ
3.一次産業の「産業」政策を超えた価値
・食糧確保は政治の最大の役割
・金銭では測れない「多元的価値」
・個別所得補償制度の導入を
「支え合う」ために必要なこと。
支え合いの行政の主体になるべきは、基礎自治体。
これは当然の認識で、同意します。
但し、その実現、機能のためには、基礎自治体が財源を持つことが必須。
一応考えうる所得再分配の方法は多々ありますが、先に、そうさせうる国政レベルでの法改正からです。
保守本流を標榜する枝野ビジョンでは、結局今の自公政権の財政規律主義から脱却することが不可能であることが明確になりました。
いくら「リベラル」を「保守」すると表現を変えたところで、必要財源の調達手段は、富裕層に対する増税しか今のところないに等しい。
とすると与党野党、保守革新の対立構造をベースにした比較でしか立憲民主党は対象とならないわけです。
そこで、先述の「弱者」だけのための「支え合い」ではないと言い切ってしまうと、まがいものではあっても、保守と絶対的に認識されている「自民党」との差別化が消えかかってしまう。
最後に、まさに「支え合い」のいくつかの視点のほんの一例として農業問題を付け加えた思いつきで、残念ながら枝野ビジョンの稚拙さがここに極まった感があります。
なんとそこに提示されたのは、農業の票を当てにした「戸別所得補償制度」。
昔の悪名高き米の減反政策の象徴である「戸別所得補償制度」のリモデル版。
農業問題を語るならば、コロナによるサプライチェーン、食の安全保障面からの自給自足国内体制再構築政策。
何もしないことを支援するのではなく、自給自足農業体制再構築のためのチャレンジ支援を、基礎自治体を対象範囲とした耕作地対策を講じて行うべきです。(それらしいことは言っていますが。)

リベラル放棄の「リベラル保守」化のリスクは、どのように支え合うのか
そもそも、リベラルを保守するという考え方と「リベラル保守」という表現は、想像するに、中島岳志氏の『「リベラル保守」宣言』(2016/1/4刊)にルーツがあるような感じです。
それが、現状保守との紛らわしさを増幅させる逆効果となることは、簡単に想像できるのですが、政策ベースでまで近似・類似度が高まってくると、「リベラル」放棄に近い状況になりつつあります。
そうすると松尾匡氏著『左翼の逆襲 社会破壊に屈しないための経済学』(2020/11/20刊)に頼らざるをえなくなってしまう。
しかし、それも、同書を読むと、困るというか、悲しくなるというか。
「自助」を強いる社会に未来はない。
こう言う枝野ビジョンが、リスクもコストも「支え合う社会」をも意味するならば、半ば「自助」を強いていることにもなりかねない。
そう感じることはないのでしょうか。
まあ、いずれにしても、どちらにしても、想定内のこと。
次回からは、似非リベラル保守の別の観点からの評価・分析を、三浦瑠麗氏著『日本の分断 私たちの民主主義の未来について (文春新書)』(2021/2/20刊)を用いて、追い打ちをかけるかのように行ってみる予定です。
(参考)
◆ 日本人はどこに向かうのか:「日本人価値観調査」から、コロナ後、望ましい2050年への政治を考える(2021/7/1)
なお、『枝野ビジョン』の最終章<第11章 地に足の着いた外交・安全保障>を、今シリーズでは取り上げませんでした。
この章は、『日本の分断』からシリーズの中で取り上げる予定です。
引き続き、宜しくお願いします。

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