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未だ不明の支え合い、社会、政治と行政の正体:『枝野ビジョン』を読むー3

 立憲民主党代表枝野氏自身が、満を持して、今秋ある衆議院議員選挙前に向けて自ら著わし、刊行した『枝野ビジョン 支え合う日本 (文春新書)』(2021/5/20刊)。
 その内容を読み、考えるところを述べていくシリーズを始めています。

◆ <プロローグ>:日本人はどこに向かうのか:「日本人価値観調査」から、コロナ後、望ましい2050年への政治を考える(2021/7/1)  
◆ <第1回>:リベラルな日本を保守するという意味不明:『枝野ビジョン』を読むー1(2021/7/3)
◆ <第2回>:コロナ禍による日本の課題認識と新自由主義批判は自分に還る:『枝野ビジョン』を読むー2(2021/7/4)
と続き、今回第3回は、<第4章 そもそも日本は今、どこにいるのか?><第6章 近代化の先にある社会の理念>に焦点を当てます。

第4章 そもそも日本は今、どこにいるのか?

1.私たちが生きてきた時代
・近代化の時代
・閉塞感の広がり
2.人口の急増から急減へ
・近代日本における人口の変化
・人口増を前提とした社会の仕組み
・労働人口の削減
・消費者の現象
3.グローバル化が直面する壁
・「安価な労働力」の急激な参入
・供給力の急激な拡大
4.時代の変化の中で問われているもの
・「近代化モデル」の限界
・求められる「より大きな視点」

 以上が、第4章の構成です。

近代よりも、現代、今を注視し、明日、近未来のビジョンを語るべき


 よほど近代への関心が高いのか、近代からの脱却こそ枝野ビジョンの大命題とする故か、こだわりが強いですね。
 この段階では、枝野ビジョンを提示する準備として、現状を把握することに目的があるわけです。
 その焦点は、本章では、人口減少社会とグローバル化がもたらす問題に集約されているようです。

 ただ、その問題の要因は、近代化における人口急増化とそこにおいて機能してきた経済の近代(化)モデルにあるという論理です。
 しかし、それを要因としたところで、それとは違う方法を取れば問題が改善・解決できるものではなく、さほど意味があるものとは思えません。

 枝野氏は、人口急増から急減への変化という現実は、簡単に変えられず、少子化対策を総力を上げて推進しても出生率の2.1への回復、人口減少の抑止までには、10年単位で、二世代分、60年の期間は必要と。
 しかし、どれだけかかろうとも、具体的に成果に結びつくと思われる政策を掲げ、長期・中期・短期計画化して推し進めるべきです。
 それを示してこそ「ビジョン」と呼べるものであり、その未来志向は、近代社会や近代化モデルとはまったく関係のない、いちいち持ち出す必要のない歴史(認識)論です。
 右も左もない、前へ、の課題です。


 

第6章 近代化の先にある社会の理念

1.「豊かさ」から「支え合い、分かち合い」へ
・国民が求めているのは「物質的豊かさ」なのか?
・高齢社会の中で求められる「安心」
・若者が求める「雇用・子育ての不安解消」
・豊かさは「目的」から「手段」へ
・求められる「支え合い」と「分かち合い」
2.「支え合い」の意味するもの
弱者保護の限界
・普遍的な「支え合い」を
・「情けは人の為ならず」
・「安心」を生む社会構造
・古い時代には戻れない


 以上が、第6章の構成です。
 1.「豊かさ」から「支え合い、分かち合い」へ の中から一部以下に転載しました。

 現代社会は、交通、通倫の両面で物理的距離が克服され、日本が狭くなっており、それぞれの暮らす「社会」が日本全体と一体化するほど広くなっている。他方、かつて「支え合い」を担ってきた家族や地域社会の機能は、都市化と核家族化などによって大幅に弱まっている。
(略)
 これまでの常識が通用しない社会では、多くの人が自分たちの暮らしの先行きにリスクを感じ、リスクが顕在化した場合の負担やコストについても、過大なものになるのではないかという、大きな不安を感じている。
(略)
 これからの社会に求められているのは、政治と行政が、日本という「社会」の単位で互いに「支え合い、分かち合う」ための機能を果たすこと。それによって「リスク」と「コスト」を平準化し、自助だけでは逃れられない「不安」を小さくすることだ。
 過度な自己責任社会から「支え合い、分かち合う」社会に転換することこそ、私の訴える、ポストコロナ社会の理念であり、そして「近代化」の先にある社会の理念である。


 その「支え合い」の意味するものとして、その社会が「弱者」保護を強調する社会ではないか、とされることに対して、そうではなく、より広い範囲の多数の国民が「支え合い」の対象となっていることを指摘し、カバーする必要があることを示します。
 「支え合い」を、普遍的なリスクやコスト負担をも対象とするというわけです。
 「弱者保護だけでは限界がある、だから」という意味合いなのでしょうが、これは微妙な考え方です。
 また「情けは人の為ならず」ということわざが、間違って用いられていることを取り上げ、本来「お互い様」の精神であることを説明して、「支え合い」と結びつけることを示します。
 そして、究極的に目指すべきは「支え合い」によって、さまざまな面で「安心できる」社会構造を作ることを目指すとしているのです。

未だ不明の「支え合い」と「社会」と「政治と行政」の正体

 まだ基本認識を示す段階なので、「社会」は日本全体とされ、政治・行政も、国家も地方自治体も区別なく用いられているのは、やむを得ないこととすべきか、私には疑問です。
 また「情けは人の為ならず」を持ち出したのも返って逆効果だった。
 そしてやはり、「支え合い」が、日本全体の社会の課題となる、あるいは、課題とすべきと断じているように響いてきます。
 政治と行政は、その機能化を果たす役割。
 過度な自助は求めないが、適度な自助は必要、とするのでしょうか。
 あるいは、共助を促進するための政治・行政の機能化も重視しているのでしょうか。
 「支え合い、分かち合う」という表現には、どうも、国や地方自治体以外の、何かしらの共同体を機能化させる
狙い・意図も含んでいるのではと勘ぐってしまうのです。
 この章の最後は、こう結んであることからの不安でもあります。

地域の支え合いについては、一定の期待をしている。支え合いや助け合いは、個別の具体的な事情に応じた臨機応変の対応が求められるため、行政だけでは対応しきれない場面が多い。より身近なコミュニティーが機能することが望ましい。
 とはいえ、都市化によって地域コミュニティが成立しにくい場所では、支え合いのために新たに自然発生的なコミュニティーが構築されることは難しい。
 他方、地域コミュニティーが残っている地方などでは、過疎化と高齢化が進み、コミュ二ティーそのものが崩壊しかかっている。支え合いたくてもできない状況が生まれつつあるのだ。
 地域コミュニティーを成り立たせるためには、政治と行政が適切なサポートをすることが欠かせない。
 だからこそ、私が訴えるのは、かつてのように機能しなくなった家庭や地域の共同体に代わり、社会全体の支え合いのシステムを、政治と行政が担うことなのである。


 安心して良いような、いや、そうとも言えないような、言い回しの内容です。
「社会全体の支え合いのシステム」とはどういうものか、国と地方自治体が何をどう機能させるのか、ここでは踏み込まれていないためでもあります。
 そろそろ核心に近づいていくでしょうから、私の抱く不安が、まったくの杞憂に過ぎないことを祈りつつ、先に進むことにします。 
 

 次回は、<第7章 「支え合い」の社会における経済>と、<第8章 これからの成長の芽はどこにあるか?>に焦点を当てます。
 そろそろ、ビジョンの姿を垣間見ることができそうなテーマのようです。
 楽しみにしたいと思います。

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