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コロナ禍による日本の課題認識と新自由主義批判は自分に還る:『枝野ビジョン』を読むー2


 立憲民主党代表枝野氏自身が、満を持して、今秋ある衆議院議員選挙前に向けて自ら著わし、刊行した『枝野ビジョン 支え合う日本 (文春新書)』(2021/5/20刊)。
 
 その内容を読み、考えるところを述べていくシリーズを始めました。
 プロローグ編は
日本人はどこに向かうのか:「日本人価値観調査」から、コロナ後、望ましい2050年への政治を考える(2021/7/1)
 第1回は
リベラルな日本を保守するという意味不明:『枝野ビジョン』を読むー1(2021/7/3)
でした。

 今回第2回目は、<第3章 新型コロナウイルス感染症が突きつけた日本の課題><第5章 新自由主義の限界>を取り上げます。
 この章では、いずれ提示される枝野ビジョンのベースになる基本認識を、コロナ禍からの課題認識と自民党政権の経済政策批判から確認することになります。
 2つの章、それぞれの構成をまず提示し、簡単なコメントを添える形になります。

第3章 新型コロナウイルス感染症が突きつけた日本の課題 より

1)「効率的に偏重した経済」の脆弱性
・「命を守る」ためのサービスが足りない
・一極集中の「過密」社会は危機に弱い
・行き過ぎた国際分業が日本の安全と安心を脅かす
2)「過度な自己責任社会」の脆弱さ
・「社会の危機」が「個人の生活の危機」に直結する
・作りだされた分断
3)「小さすぎる行政」の脆弱さ
・脆弱な保健所の体制
・マスクも配れない政府
・情報集約・事務処理能力の欠如
4)コロナ禍の先に見据えるべき社会のあり方
・感染リスクはすべての人に
・感染症の影響は「自己責任」か?
・過度な自己責任社会から「支え合い、分かち合う」社会


 いかがでしょうか。
 この構成、各節と項目を見た範囲で判断するのはアンフェアかもしれませんが、イメージできることを少し述べたいと思います。
 「効率的に偏重した経済の脆弱性」を示す例が、「命を守るサービス」「一極集中問題」いわゆる「行き過ぎたグローバリズム」と、効率性との結びつきがいささかこじつけ的で、かつ分散した問題提起と感じます。
 「過度な自己責任社会の脆弱さ」という指摘も、単純な発想からのことで、安直な感じを受けます。
 もっとも違和感を感じるのが、「小さすぎる行政」において例示したのが、「保健所」「マスク」「情報管理」では、大きな政府・小さな政府、大きな行政・小さな行政での政策問題を想定すると、課題を矮小化しすぎていることです。
 
 そして言えることは、こうした指摘に関する課題については、万一立憲民主党が政権政党であったとしても存在した問題であったであろうこと。

 この章の最初と最後の枝野氏の言を以下に引用します。

 この30年から40年近くにわたって、日本だけでなく多くの先進国で構築されてきた、いわゆる「新自由主義的」傾向に偏った社会経済システムが、新型コロナウイルス感染症という歴史的な危機において、以下に脆弱であったかが明らかになった。
(略)
 新型コロナウイルス感染症によって明らかになった問題点の多くは、バブル崩壊後の「平成の政治」が進めてきた流れの帰結と言える。
(略)(その流れに、枝野氏自身が乗っていたことの反省を踏まえ)
 それが、「効率性に偏重した経済」を生み「過度な自己責任社会」を誘発した。
 「小さすぎる行政」は国民を守る力を失った。このことがコロナ対応で明らかになったのだ。

 それゆえに

 誰も一人では生きていくことができず、社会は、「支え合い、分かち合う」中で成り立っている。
(略)
 過度な自己責任論から脱却し、支え合う経済と、機能する政府を取り戻す。
 豊かさも痛みもしっかりと分かち合い、支え合う。
 そんな社会・経済と行政・政治を取り戻すことで、コロナ禍という危機を乗り越え、「その先の未来」を作っていく。

としているのです。

問題・課題の共通性と「社会」を意味する対象と主体を認識すべき


 「過度な」自己責任論でなく、とするからには、「適度な」自己責任のあり方を示す必要があります。
 この章で枝野氏が認識した課題は、コロナ云々に関わりなく、以前からあった課題です。
 近代化社会とやらも関係なく、新自由主義社会以外の社会や国家においても、多分同様の課題はあったでしょう。
 先進国にも拘らず、というだけでなく、後進国ゆえに存在し、あるいは潜在的にあった問題もあったはずです。

 そして私が常に問題としているのが、常用語、常套語化している「社会」とは何を指すか、です。
 簡単に用いる「社会」は、使う目的・場合によりその範囲や主体は異なります。
 課題・政策ごとに対象となる「社会」は異なる。
 リベラルは、特にそのことを強く意識し、認識して用いる必要があります。

 この件に関して以下関連する記事をこれまで投稿しています。
 いずれ結びつく内容の記事も含んでおり、お時間がありましたら確認頂ければと思います。
 

(参考)
○○の社会化という誤解、勘違い(2020/5/30)
社会的な孤立の意味、自立支援の意味:もっともらしい言葉から感じること(2020/5/31)
公助・共助、公的資金・国家財政から考える政治改革と財政システム改革(2021/2/2)
国家、公「おおやけ」「こう」、公共の意味とその正体:憲法から考える国政と主権(2021/3/16)
公共、公的なるものの正体:公費、公的資金から考える国家財政と経済-1(2021/3/17)
国費、公共費の再定義と財政改革を:公費、公的資金から考える国家財政と経済-2(2021/3/17)



 

第5章 新自由主義の限界 より

この章の構成は、以下です。

1)「アベノミクス」とは何だったのか
・「アベノミクス」の本質
・平成経済の実態
2)3本の矢の効果
・カンフル剤としての財政出動
・新たな投資や消費を生み出せない構造
・金融緩和の限界
・ミクロ政策にとどまる規制緩和
3)「アベノミクス」が支持された背景
・「見たくない現実」から目をそらすな

この構成を見、本文を読む限りでは、ことさらのことは指摘されていません。
費やしたページ数が13ページ足らずでは、表面的な批判で終わらざるを得ません。
一応、本章の最初と最後の文章を引用しておくにとどめます。

 第二次安倍政権が、デフレからの脱却と経済の再生を掲げて推進してきた「アベノミクス」は、新自由主義的な政策であり、従来型「近代化モデル」の経済政策である。
(略)
 私たちが今考えるべきことは、明治維新以来近代化を推し進めてきた、この150年間に生み出した手法に拘泥することではない。
 人口減少と近代化の限界という「見たくない現実」に真正面から向き合い、その上で、その先の「夢と希望」を語ることだ。
 私は、そのことを強く意識しながら、「その先の社会像」を描き、そして訴えている。

 このレベルでの「アベノミクス」及び安倍政権のひどい経済政策と失政批判は、評価するに値しないものです。
 なので、以前当サイト記事
見えない分散革命ニューディール実現の政治的シナリオ:金子勝氏著『人を救えない国』より-1(2021/6/26)
で参考にした、金子勝氏著『『人を救えない国 安倍・菅政権で失われた経済を取り戻す (朝日新書)』(2021/2/28刊)』を、金子氏のコロナ後の政策提案も併せて読めますので、参考にして頂ければと思います。

新自由主義に代わる経済政策を提示できるか

 現時点で、枝野ビジョンの経済政策について論じる段階にありません。
 しかし、今言えること、言うべきことは、コロナ危機を踏まえての指摘にしろ、関係なく継続している問題にしろ、その対策には、財源をどうするかがつきまとっているということです。
 すなわち、政権政党を目指す野党は、国民を納得させ、同意させる対案・提案が絶対に必要ということです。
 少なくともこれまでの野党は、財政規律主義の枠を出たことはなく、唯一方策としては、富裕層や企業への増税やそこからの所得の再分配を主張するだけでした。
 もしそれを変えることがなければ、リベラルな保守を守るというスローガンを堅持し、恐らく、小さすぎる行政対策も、支え合う社会の具現化も、言うほど、活字に表すほど簡単にはいかないことを認識しておく必要があるでしょう。
 他者批判は、自身での諸提案のレベルと内容を保証するものでは決してなく、自身の提案力・構想力・説得力課題の重さ、そして責任の重さを一層大きくするものであることを心してかかるべきなのです。

 次回は、<第4章 そもそも日本は今、どこにいるのか?>と、<第6章 近代化の先にある社会の理念>に焦点を当てます。
 まだそこでも、基本認識どまりの論述にとどまりそうですが、辛抱して見てみることにします。

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