倫理資本主義の理想実現は可能か:マルクス・ガブリエル氏「つながり過ぎた世界の先に」からー1

政治・行政政策

 先月5月ほぼ同時期に入手し、同月内に斜め読みを終えた3冊の新書
・『正義の政治経済学 (朝日新書)』(水野和夫・古川元久氏共著:2021/3/30刊)
・『人を救えない国 安倍・菅政権で失われた経済を取り戻す (朝日新書)』(金子勝氏著:2021/2/28刊)
・『パンデミック以後 米中激突と日本の最終選択 (朝日新書)』(エマニュエル・トッド氏談:2021/2/28刊)
これを基に、過去読んだことがあるそれぞれの著者の書を加えて、以下の記事を投稿してきました。

・水野和夫氏著『資本主義の終焉と歴史の危機』『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』『正義の政治経済学』から
資本主義の終焉への対応、閉じた帝国の実現、正義の政治経済学の実証は可能か:水野和夫氏の著述から(2021/6/24)
・金子勝氏著『人を救えない国 安倍・菅政権で失われた経済を取り戻す』から
見えない分散革命ニューディール実現の政治的シナリオ:金子勝氏著『人を救えない国』より-1(2021/6/26)
ベーシックインカムでなくベーシックサービスで人を救えるか:金子勝氏著『人を救えない国』より-2(2021/6/27)
・エマニュエル・トッド氏インタビュー書『グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命』『パンデミック以後 米中激突と日本の最終選択』から
エマニュエル・トッド氏によるグローバリズム以後とパンデミック以後のグローバル社会と日本(2021/6/28)
エマニュエル・トッド氏が見る日本の少子化対策問題(2021/6/5)


 そして前回エマニュエル・トッド氏を取り上げてきたので、同氏同様世界的に知られているマルクス・ガブリエル氏も、と思い入手し、先日読み終えたインタビュー書『つながり過ぎた世界の先に (PHP新書)』(2021/3/30刊)を今回取り上げることにしました。

マルクス・ガブリエル氏とは

1980年(ドイツ)生まれの哲学者。
史上最年少29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。
西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実存論」を提唱して世界的に注目される。
著書『なぜ世界は存在しないのか』は、世界的ベストセラー。

『つながり過ぎた世界の先に』PR文

 前回の例に倣って、まず『つながり過ぎた世界の先に』の表紙カバーにあったPR文を転載します。
 本書は、大野和基氏によるインタビューをもとに編集構成翻訳された書です。

「COVID-19の蔓延により、おそらく人類史上初めて、世界中で人間の行動の完全な同期がみられた」と哲学者マルクス・ガブリエルはいう。
人々が一斉に倫理的な行動をとったことは、資本主義の行方にどのような影響を与えるのか。
本書ではさらに、「国と国のつながり」「個人間のつながり」「経済のつながり」を読み解き、終章で改めて個人の生のあり方を見つめ直す。
「新実在論」「新実在主義」「新しい啓蒙」と次々に現代思想を刷新する旗手が語る、パンデミック後を見通す哲学。
訪れるのは混沌ではなく、新たな倫理観を備えた世界だ。

マルクス・ガブリエル氏『つながり過ぎた世界の先に』から

本書全編に通っているのが「倫理」です。

第1章 人とウイルスとのつながり から

まず、<第1章 人とウイルスとのつながり>において登場している「倫理」を紹介しましょう。

倫理的価値と経済的価値はまったく同じことから導き出される倫理資本主義

 ウイルスに対する反応は、ウイルスに人体が脅かされるのを防ぐという意味において倫理的な働きである。
 これと同じように、環境危機と経済危機にどう倫理的に対処するか。
 この二つが人類が直面している真の危機、最大の危機と言います。
 資本主義のインフラを使って環境保全を行うのは、「ネイチャー・ポジティブ」な経済のこと。
 それは実現可能で、経済的価値体系を、倫理的価値体系と一致させる「善の収益化」と呼ぶことができる。
 
 これがガブリエル氏の唱える倫理資本主義の持つ本質を簡潔に示すものと言えるでしょうか。
 <危機は倫理的進歩をもたらす>と言うガブリエル氏。
 コロナ禍がそれを気づかせてくれたとするならば、日常の経済活動においての倫理はどうなっているのでしょうか。

第2章 国と国のつながり から

<第2章 国と国のつながり>では、国家に視点を当て、例えば以下論じます。
・アメリカ民主党の倫理的な堕落を指摘し批判
・中国と同パートナーシップを築くかが大切で、対話の努力をしなければ中国はより攻撃的になる
・EUは、トルコの加盟を認めなかったのが最大の失敗であり、あらゆるステレオタイプ思考が見受けられ、もっぱらネオリベラルなモデルに近づいている

 そして、少し話は飛びますが、人種問題の本質はステレオタイプ思考であり、アイデンティティ・ポリティクスは非倫理的とし、そのどちらも国家の見方・理解の仕方においても戒めるべきとします。


日本も「普通の国」に、というのも倫理からか?

 そのことからも、日本も普通の国になるべきと言います。
 ここでの普通とは、軍隊を持つことを示しています。
 理由は、近くに2つの、非常に危険な独裁政権が存在している特殊な状況下にあるためです。
 こうした普通の適用を用いると、普通でないことも普通に解釈し、適用される可能性・リスクが歯止めが効かない状態で拡散・拡大することになりそうです。
 倫理の判断基準が絶対的普遍を保証するものとは言えないからでもあります。
 それはもちろん、国家間の倫理基準の違いを想定内のこととしておくべきことを意味します。

第3章 他者とのつながり から

批判的にみるSNS、倫理的なSNS

 第3章の、<他者との「つながり」>という言葉から簡単にイメージできるのが、SNSあるいはソーシャルメディア。
 ソーシャルメディアを、同氏は、自由民主主義を弱体化させる危険なドラッグといい、SNSは本人が望まない自己を 押し付けているといいます。
 元々は、自分を他にアピールする、押し付ける媒体であったものが、アルゴリズムや検索機能などにより、自分が押し付けられる媒体に変身してしまっているというわけです。
 そして、分極化・分断化にも手を貸しているのは、多くの人々が認識していることでしょう。
 ではあっても、実は、同氏は新たなソーャルメディアを作ること、それを収益化することをも提案するのです。
 民主的で倫理的なオンラインのアゴラ、Egora Eゴラ、と呼ぶプラットフォームを作り、アイディアの市場にする。
 Eゴラは、人を侮辱することはゆるされず、友だちを作ることができ、民主的行動を培う場であると。
 しかし、それは、現在のSNSでも可能なはずのことですが、現実は異なります。
 クローズ、閉じられた時空間でならば可能でしょうか。
 それではつながりの遮断となってしまいます。
 倫理とは、難しいものです。


日本人特有のコミュニケーション

 ミシガン大学による「世界価値観調査」では、日本人が先進国の中で最も社会的に孤立しているというデータ。
それは、日本人を含むアジア人は共同体を尊重するという悪しきステレオタイプを否定する社会学的証拠になりうる、とします。
 その理由として、東京への人口の密集とそこにおける孤立化、サイバー独裁化が進む生活様式を上げています。
加えて、コミュニケーションの特異な点として、互いの意見が対立した時に、その対立を避ける傾向があることも。  
 それを、これからはむしろ対立を増やし、対立にさらされる機会を増やして、しっかりディベートを行うべきと提案します。
 それもある意味、ステレオタイプ思考によるもの、と言えなくもないでしょう。
 なぜなら、ディベートが盛んな国々では、コミュニケーションの分断がなく、倫理的な行動規範が人種や民族や宗教の違いに関係なく確立され、遵守されているかどうか。
 卑怯な反論法ですが、特有性には、デメリットだけでなくメリットも併せ持つ面があることを主張しておきたいと思います。

 従い、日本及び日本人が、世界から孤立しているとみることは、一つの視点からはそう言えるでしょうが、他面からみればそうでもないわけです。
 
 そしてこの章の最後では、ドイツは今、「連帯」と表現する個人間のコミュニティを早急に作ろうとしており、その結果、「共同体主義がネオリベラリズムに取って代わる時代が来る」というのです。
 この結論は、資本主義と相対する社会主義において主張されることと一致をみるのですが、倫理資本主義の行き着く先とそれは一致することを意味するのでしょうか。
 

第4章 新たな経済活動とのつながり-倫理資本主義の未来 から

古くからある倫理的経営が、倫理資本主義の原点

 第4章では、完全に倫理的ゆえに成功しているミヒェルベルガーホテルなどを例としてあげながら、また自身が関与する建築会社HPPやプロジェクトなども紹介しつつ、倫理資本主義がコロナ禍にあっても成功し、浸透してきているとします。
 セールスフォースやグーグルの倫理部門でも仕事をしているといいます。
 クリスチャン・マスビアウという哲学者が倫理資本主義の良い例とし、ソーシャルメディアの大企業が彼の顧客であるとも紹介します。
 しかし、それらは、決してコロナパンデミックがあったからというものではないでしょうし、企業経営に倫理観が必要という考え方が、目新しいものでもないでしょう。
 CSR、企業の社会的責任やコンプライアンスという概念の中に、倫理的概念が含まれることは、随分以前から認識されていることでしょうし。
 要するに、倫理資本主義とは、特段、目新しい理念・概念ではなく、繰り返し必要とは認識されてはきているが、その倫理に反する行動に人が簡単に走り、それを、適度な倫理観をもって抑制することができなかったということでしょう。
 このあたりが、哲学者の関与できる限界領域であり、それだからこその哲学者の存在感なのだろうと、やはり半倫理的に考えてしまいます。


第5章 個人の生のありかた から

 最後の<第5章 個人の生のあり方>では、ガブリエル氏の真骨頂、哲学の世界における個人の生、生き方がテーマとされています。
 そう思い、本書を総括する内容を期待したのですが、もともとインタビューを編集・構成した書でもあり、<1新実存主義の人間観><2「神聖」さが生じるとき><3「考える」とはどういうことか>という彼の本分たる領域の手引的記述で終わっています。
 肩透かしを喰らった感じですが、想定内のことでもありました。
 
 そこで、私が本書の最後に持ってきたい部分を紹介します。
 それは、PR文にもあり、<第1章 人とウイルスとのつながり>で示した以下のことです。

 COVID-19 の蔓延により、おそらく人類史上初めて、世界中で人間の行動の完全な同期化がみられました。すべての人間が、微妙に違うやり方だとはいえ、基本的に同じ行動をとったのです。
(略)
 私が最も目を見張ったのは、世界中の人間の行動を最初に統合し、ロックダウンの方法やペースなどを設定したのが中国だったということです。

 この中国モデルで同期化された行動が、
「ウイルスに対する反応は、ウイルスに人体が脅かされるのを防ぐという意味において倫理的な働きである。」と倫理的であり、それがある意味、政治体制やイデオロギーには関係のない、普遍的なもの、と評価したかったわけです。
 しかし、それは、決してというか、断じて、中国が望ましいモデルを提示したから、という性質のものではないことは明らかでしょう。
 万一武漢を感染源とし、その原因が明らかにされない過失性が高いものであった場合でも「史上初めて、中国が世界中の人間の行動を統合した」などと意義付けることは、倫理の真逆を意味することになることを自覚しているのでしょうか。
 また同期化とは本来呼べないような、各国や地域やケースによる対応の違いをみたことも明らかです。
 なにかに学ぼうというのは決して悪いことではありませんが、この事例は、あまりにも稚拙すぎます。


「倫理」用語の用いやすさとその曖昧性と限界

 果たして「倫理」という用語には、ステレオタイプ的な理解やイメージがつきまとってはいないだろうか。
 ガブリエル氏の話では、「倫理」という言葉がいとも簡単に用いられ、そのたびにそう感じてしまいます。

 古代・中世・近世・近代そして現代と「倫理」はそれぞれの歴史とその社会において人々の命題とされてきました。
 その言葉は、今現代・現在に問題となっている「民主主義」や「資本主義」と同様に、完成形が実現・実践されることなく、相変わらず人と社会がめざすべきもの、実践すべきものとして課題化され続けているわけです。

 果たして、行く先を見失いがちな資本主義は、倫理というスローガンと思想を接頭語に迎えれば、望ましい資本主義に変身するのでしょうか。
 民主主義が、時代や背景の違いにより定義や意味が異なったように、倫理も同様になるのではないか。
 そう穿った考え方をするのは、やはり倫理に反するのでしょうか。
 そこには、やはり、哲学では解決できない現実が、間違いなく存在すると思うのです。

インタビューアーであり編者である大野和基氏の真逆の評価

 ガブリエルは本書で、行き詰まっていると言われている資本主義に対して、哲学者として具体的な解決案とビジョンを示してくれた。彼は理論を説くだけではなく、自らさまざまなプロジェクトに参加し、倫理資本主義がさらに浸透するように行動している実践的哲学者である。
 さらにガブリエルは、パンデミックが引き起こした変化、国と国とのつながり、ソーシャルメディアに見られる個人のつながり、経済のつながり、生のあり方などすべての面でその本質を抉り出し、深遠な視座を提供してくれた。
本書を丁寧に読めば、日々報道される皮相的なニュースに惑わされないようになると確信する。
(略)
 異論もあるだろうが、ガブリエルは「パンデミックさえなければ、経済は好調だったので、トランプが圧勝していたでしょう。トランプはたいへん優れた大統領でした」と語っているが、まったく同感である。
 表面的に見える言動や印象だけで判断するのはすこぶる危険である。本書を読むことで、現象の本質を見極めるための思考法に触れていただければ幸いである。

 以上が、マルクス・ガブリエル氏にインタビューし、本書の編集を担当した大野和基氏が、あとがきに寄せた文章です。
 素人の私の浅薄さ故か、同氏とは、真反対・真逆の評価をしていることになります。

独り立ちすべき日本とドイツとの共通点

 本稿では、トランプ氏に対する評価については、触れませんでした。
 が、実際には、本書のかなりのウエイトは米国と中国に関する事項に向けられています。
 そして、ドイツ生まれのガブリエル氏は、ドイツと日本が、アメリカの外交政策の唯一の成功例とします。
 すなわち、第二次世界大戦後、アメリカは戦争に勝ったことがなく、他国の民主化にも成功したためしがなく、
「自分たちの社会モデルを根付かせることができたのは、日本とドイツだけであり」、我々の国は完全にアメリカナイズされたわけではないが、アメリカの良いところをたくさん取り入れており、今や独り立ちする時期である。」
と断定しているのです。

 なるほどそういう見方もあるか、とは思いますが、アメリカ単独で第二次世界大戦の後処理を担ったわけではありませんし、それが唯一の本質と断じることも不適切と考えます。
 要するに、どこに焦点を当てるかによってズレる、ブレるのです。
 水野和夫氏の言を借りれば、ドイツは、EU帝国を統合する立ち位置を得ています。
 一方アメリカは、アメリカ金融・資本帝国形成し、今もある意味君臨し続けています。
⇒ 資本主義の終焉への対応、閉じた帝国の実現、正義の政治経済学の実証は可能か:水野和夫氏の著述から

 そのドイツの野心・野望を、フランス人のエマニュエル・トッド氏は、その軍門に下っているかのように酷評する自国フランスと重ね合わせて冷ややかに批判しています。
 このドイツ人哲学者とフランス人歴史家・文化人類学者との類似点と相違点を読み解くことは、頭の体操になります。
 しかし、経営コンサルタントして実務を担当してきた私、そして家族社会学を軸として現実を直視することを旨として生きてきた私にとっては、大野和基氏が評価するガブリエル氏の実践性・実践度には、先述したように不満を感じざるをえません。
 また不遜ではありますが、決して、深遠な視座を提供してもらえたという思いもありません。

2021年上半期の御礼と下半期へのお願い

 本稿のタイトルに<マルクス・ガブリエル氏「つながり過ぎた世界」からー1>とあります。
 ということは、<マルクス・ガブリエル氏「つながり過ぎた世界」からー2>が続編としてあることに。
 その記事は、別サイト http://basicpension.jp で、ガブリエル氏が例え話として、ベーシックインカムを想起させる話をしており、その内容を紹介するもので、明日予定しています。

 ということで、本稿が、2021年上半期最後の記事になります。
 批判は容易いですが、重要なのは、現実論としての提案を並行して行い続けること。
 事あるごとにそう戒めて、コロナ禍の東京オリンピック・パラリンピック開催に、有無を言わせぬ圧力で邁進する政府の見え見えの本質に対抗できる、長期ビジョン・長期政策の提言と個別課題の提案、それらを具体化・具現化するための政治体制と政治行政システム改革の道筋の考察と提起を。
 2021年下半期の当サイトの運営構想を固める作業を挟みながらの6月のサイト運営となりました。
 
 今後とも宜しくご購読頂きたく、お願い申し上げます。


 

 


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