エマニュエル・トッド氏が見る日本の少子化対策問題

現役世代ライフ


山田昌弘氏著の『結婚不要社会』(2019/5/30刊)を取り上げて投稿した記事
結婚不要社会と結婚困難社会の大きな違い:『結婚不要社会』から考える(2021/6/3)
を受けて、
今回は、エマニュエル・トッド氏と朝日新聞の3記者とのインタビューからの書き起こし書
パンデミック以後 米中激突と日本の最終選択 (朝日新書)』(2021/2/28)を用いて、結婚・子どもと少子化について考えます。

エマニュエル・トッド氏は、ソ連崩壊、米国の金融危機、アラブの春、英国EU離脱などを予言したフランスの歴史家・文化人類学者・人口学者。
同書の他では『グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命 (朝日新書)』(2016/10/13刊)を読んだことがあります。

パンデミック以後』は、当サイトで別の機会にも取り上げる予定ですが、今回、その中の最終章・第6章の「家族制度と移民」のみを対象とし、このところ継続している「少子化」問題と絡ませて扱うことにしました。

日本の少子高齢化問題は深刻度を増すばかり。
それを食い止める動きも鈍い。
政府の対策が遅れているだけでなく、社会の関心も問題の深刻度に見合った水準に達していない。
家族構造の分析という専門とする視点からどう見えるか。

こういう問題提起により2018年5月に行った、朝日新聞大野博人記者のエマヌエル・トッド氏へのインタビュー。
その記述から要点を抜粋して、考えてみることにします。

なお、「人口動態」という表現は、少子化にとどまらず、高齢化や人口減少、年齢別・世代別・性別人口構成など、人口の構成とその変動に関する幅広い意味で用いられるのが一般的です。
しかし、本書のインタビュー内で用いられている「人口動態」は、一応人口の増減に焦点を当てており、従い、ここでは、「少子化」と読み替えて頂くことに問題はないと考えます。

議論のテーマではあるが、行動のテーマではない日本の人口動態をめぐる課題


冒頭、こんな皮肉からトッド氏の話が始まります。

1990年代はじめに初めて訪日したときに驚いた。
人々がすでに人口動態の問題について盛んに語っていたから。
日本人は同じ問題を抱えている欧州の国々の人たちより意識が高い、と。
(略)
日本は問題を強く意識し、r取り組みに向けて行動する準備ができている、なんとかするだろうとも。
その後16,、17回、1年半に1度くらいの割合で来日しているが、人々はあいかわらず人口動態について話は続けている。
それを見ていて、こう考えるに至った。
日本では人口動態の問題は議論のテーマであって、行動のテーマではない


超きつい皮肉です。

そうなんです。
日本の文化の特徴の一つが、議論好きだが行動は起こさず、何もしないことに対する責任は取らない。
政治家も官僚・役人も、学者・研究者も。
よく言うではないですか「課題先進国」と。
その後に必ず、そうであるが「課題解決後進国」である、と付け加えられるのです。
1億総モラトリアム社会とも言えるでしょう。


日本は新自由主義に囚われている

トッド氏は引き続きこう言います。

 人口問題となると、女性の労働市場進出を促しながら、それに伴う政策はお題目くらい。
 問題は、女性が働くと彼女たちは子どもを作れなくなるという現実。
 女性が労働市場に参入するための、政府のあらゆる施策の射程は短く、長期的には人口動態危機をより深刻にしているばかり。
 取り組むべき課題は、子どもを持てるかどうか。
 その点では、日本は経済優先の罠にかかっている
 奥底で新自由主義思想の囚われ人になっているという印象を持つ。
 家族がいて、子どもを作り育て、教育し、子どもは学び、成長し、働くようになる。
 それは経済活動ではない
 人口動態危機の原因はかなり単純。
 日本だけに特殊な事情があるわけではない。
(略)
 ちゃんと目を向けないといけないのは、出生率がとても高いわけではないけれど理にかなったレベルになっている国では、それを可能にしているのが人々の姿勢だけではないということ。
 制度的な仕組みが整備されている。

 フランスや北欧の制度は、保育園や幼稚園を作り、初等から高等教育まで無料、あるいは安価にするというモデル。
 つまり家族は支援される。
 法律によって、女性も男性も産休をとることができ、そのあとも職場に復帰できる。
 子どもが生まれて最初の数年は、雇用も保障される。
 社会、法律、国家がみんなで女性をより尊重する基本的な価値を実現する。
魔法ではない。

フランスの事情に関しては、『フランスはどう少子化を克服したか (新潮新書)』(高崎順子氏著:2016/10/14刊)が参考になります。
お薦め書です。

 経済を重視しすぎると、長期的な視点を見失う。
 人は労働力になる前に、生まれ、教育を受けなければならないという事実を忘れてしまっている。

この「姿勢だけではなく、制度的な仕組みが整備されている」という指摘を、以下の記事で紹介した分析をなさった山田昌弘氏は、どう感じるでしょうか。
仮に、十分な制度が整備されていれば、世間体や見栄など気にしなくてもよい社会が形成され、望む行動を選択することができるのでは。
そう思うのですが。

(参考):<山田昌弘氏著日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』で考える絶対不可欠のBI論>シリーズ記事
結婚・子育ての経済的側面タブー化が少子化対策失敗理由:『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』で考える絶対不可欠のBI論-1(2021/5/24)
夫婦・親子をめぐる欧米中心主義的発想が失敗の理由?:『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』で考える絶対不可欠のBI論-2(2021/5/26)
少子化の主因、リスク回避と世間体意識変革は可能か:『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』で考える絶対不可欠のBI論-3(2021/5/27)
山田昌弘氏提案の少子化対策とは?:『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』で考える絶対不可欠のBI論-4(2021/5/28)

こうした話の中には、当然ですが、ヨーロッパ各国の人口動態、出生率とその関連での制度や文化に関する事例が次から次へと紹介されています。
それらを取り上げるだけで相当のボリュームになります。
しかし、基本的には、トッド氏が言うところの「単純」さと、姿勢だけではない「制度」のあり方の違いと包括的に捉えることで事足りると思い、各国事情は割愛しました。

この後、話は、直系家族社会が現在も日本に残るかどうかという問いかけから、移民問題に進みます。
本章は、タイトル通り、移民についても人口動態と関係する課題として論じています。
しかし、少子化対策との直接の関連性は極めて薄いと判断し、また移民問題が日本の場合、欧米各国の歴史的・地理的背景とは大きく異なることから、当記事では取り上げませんでした。
人口減少問題とは直接関係するものであるため、その場合の課題としたいと思います。

現在の出産と子どもの教育への支出・投資は、未来への長期的な投資

 政府は、出生率の上昇を促すために莫大なお金を費やして貧しくなるような気がするとしても、実はそれは未来に向けて豊かになりつつあるのだということを理解しなければならない。
 現在において豊かになるための経済財政政策を進める国は、将来に向けて貧しくなる。
 社会が出産と子どもの教育に投資することこそが長期的に見返りのある投資だ。


よく言われる、耳にし、目にする内容です。
これまでも再三再四指摘しているように、日本の少子化対策は、総花的で、一応ほぼ5年毎に更新される<少子化社会対策大綱>をみれば、議論は幅広さく、お金のかけ方は不十分で、小手先で短期的な対策に終始していることが分かります。
そして、当然、分散型で、だれも責任を取りません。
というか、責任を取らなくてもよい方法をとっているのです。
時の総理と内閣はどんどん代わり、官僚も未来のことなど考える必要がありません。
というか、そういう行政を許してしまっているのです。

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日本に必要な、制度的支援と経済的支援

子どもの保育と教育を保障する、女性を守るための諸制度と法律の整備。
その必要性はもちろんですが、これに加えて、日本では、世間体や見栄などの姿勢・意識を変えるための経済的支援対策も必要です。
非正規雇用者や低賃金のエッセンシャル・ワークに携わる人々への雇用・賃金等労働政策の改定もその経済的側面からの支援です。
これに加え、他サイトで提案している、日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金制度が導入されることが理想です。
その主旨などについては、先述した<山田昌弘氏著日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』で考える絶対不可欠のBI論>シリーズ記事で確認頂ければと思います。

設置される(であろう)子ども庁は、少子化対策に寄与するか

あたかもこれまでの縦割り、細切れ、無責任行政に終止符を打つことが期待できそうな、「子ども庁」の設置が議論されるようになりました。
しかし、今の政府と官庁に、明確なビジョンとリーダーシップがあるはずもなく、またまた議論ばかり繰り返され、行動は二の次、三の次。
そんなことになるのではと思っています。
しかし、先日、日経<経済教室>に、3人の学者の子ども庁設置における提案小論が掲載されました。
良い機会ですので、近々その内容を紹介しつつ、少子化問題と関連させて、考えてみたいと思っています。


さて、エマニュアル・トッド氏のきつい皮肉とストレートの提案。
政治家・官僚に、その指摘を誠実に受け止めて、行動に転じるような人はいないでしょう。
その点、山田氏が指摘した、国はお金を使いたがらない、という指摘は当たっています。

人として子どもを持ち、育てること、教育することが、自然な営みであること、それを自然にサポートする社会。
そのための公的な支出と各種支援は、同様自然に行うべきこと。
こんな自然な発想とそのために必要な自然な行動を、政治・行政として具体化できない人たちが国の責務を担っている。
こんな不自然な状況を、やはり、一時も早く変えなければいけない。
そのための行動を起こす。
その方法・方策が、当然最初の課題になります。

そのヒントの一つにもなるか、エマニュエル・トッド氏の『パンデミック以後』の残りも、興味深く読み、後日紹介をと考えています。




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