前回
◆ ○○の社会化という誤解、勘違い
と題して、少し屁理屈っぽいかな、と思いつつ、少し上から目線かな、とも思いつつ、社会保障や福祉について考える時に感じることをツラツラ書いてみました。
今回も、その続きみたいな感覚で、日頃感じていることを、思うママ綴ってみることにします。
社会的に孤立している人々の「社会化」と、救うことの「社会化」
ひきこもりにある人々。
社会との繋がりの機会を得ることができない育児を担う母親。
自宅で介護を必要とする単身高齢者。
本来生活保護を受給できる生活状況にあっても、申請できず、困窮が深まる母子世帯。
多くの人々が「社会的に孤立している」ことが問題視され、話題になる社会。
それが日常として、厳然としてある社会。
貧困や格差の要因でもあり、状況として結果としてのそれらは、社会的に孤立している人々が、自ら声を上げ、行動することを困難にしている社会の一つの象徴というべきか。
この貧困と格差の「社会化」を克服する決め手となる方策は、こうした問題を課題と認識し、国や自治体が責任主体として克服することを宣言し、取り組む方針と仕組みを構築するという「社会化」に依存する。
その社会化政策は、本来、孤立している人々に届き、人々自身が、声を上げ、自ら行動する方法を伝え、まさに「自立」するための行動に結びつくものでなければならない。
だが、そこにまで至るには程遠い現状である。
言ってこなければ始まらない。
そんなスタンス。
これが、現代の社会福祉や社会保障の基本的なルールとなっている面が、確かにある。
まあ、余計な仕事を作りたくない。
第三者なり、当事者の声が大きくなれば、重い腰を上げる。
政治や行政の基本スタンスと言っていいだろう。
経済活動や地域活動における利権が絡む声には、政治家やお役所は、比較的よく反応する。
しかし、一般的に弱者に入るグループは、自身が声を上げる術や社会的ネットワークを持たないのが普通だから、状況は、好転どころかますます悪化する。
そしてますます社会から孤立する。
自立は遠ざかる。
こういう、ひょっとしたら、随分きれいごとを連ねることになりかねない私自身は、どちらかというと「自己責任」を主張したい部類の人間だ。
しかし、その主張が、世の中を良くした試しはない。
むしろ格差を一層広げ、貧困がますます困窮の負のスパイラルを招く。
もう一つ、まったくニュアンスが違うのだが、いわゆる「孤独」を私は好む方だ。
だから「社会的な孤立」も、ある程度望む方だ。
ただし、心地よく孤立しているためには、ある程度社会のこと、社会の基本ルールについては理解している必要がある。
万一、生命を危うくされるような事態になれば、どこに、どう対処すべきかを、調べ、行動を起こすべく心構えと、ある意味図々しさと、必死さを持ち、行動を起こさなければいけないという覚悟はある。
でも、それなりの謙虚さや優しさも持ち合わせるべきことも自覚している。
さて、自分のことはさておいて・・・。
孤立がもたらす「孤独死」。
これも問題になるが、死んでから問題にしても、問題になっても「孤独死」した人は戻らない。
批判を浴びることを承知で述べるが、
孤独死が、好んで孤立し、孤独を受け入れ、死をも想定していたならば、最後の対応方法をだれかに託していれば、社会への迷惑は抑えることができる、望ましい方法かもしれない。
しかし、孤独・孤立からなんとか逃れたい、脱したいと思っていた人にとっては、起きてはならないことだ、ことだった。
死などとんでもない話で、日常生活において、こうした悲しい現実を、人々が暮らす社会に存在させてはいけない。
社会は、いや国という社会や自治体という社会は、この悲しい生き方・暮らしを、発生させてはいけない、これを看過ごしてはいけない。
社会福祉・社会保障システムが網の目に張り巡らされ、安心と安全が提供される望ましい国家社会に生きる人々、すべての国民のための社会で。


自立が不可能・困難な人に対しても「自立」を促し、「自立支援」を押し付けようとする福祉・社会保障の疑問
もう一つ、福祉や社会保障関連政策で必ずと言っていいくらい目にするのが「自立」という用語だ。
大半は「自立」を求め、その「自立を支援する」と政策や目的・目標に組み入れている。
心身ともに医療やリハビリ等で、状態が恢復するならば、それらは「自立」を可能にする手段であり、目的化されるのは当然だ。
だが、心身ともにそれが困難と医学的に分かっている場合、分かっている人に対しても、「その自立を支援し」などという文言があると、「?」と感じてしまう。
これは、ある意味分かりやすい例だ。
(批判を浴びそうだが。)
しかし、外面からは、ある意味、理屈からは分からない、ムリな「自立」を求め、ムリに「自立を支援する」例もあるのだ。
福祉・社会保障の領域に。
例えば貧困に悩む母子家庭に対する「現金給付」を抑制し、「就労」を支援することが「自立を支援する」、という政策、ロジック。
多くのひとり親は、経済的に困窮し、厳しい環境の中で、パートや非正規雇用で長時間労働状態かつ低収入状態にある。
あるいは、子どもの状態によっては働きに出ることも不可能という。
こういう状態のひとり親に、現金給付を減らすか、停止し、必要ならば教育訓練も受けさせてちゃんとした職に就くよう支援する、というか強制する。
果たして、母子家庭の母親を、どこが、どんな企業がきちんとした条件で採用してくれるのか。
もしできなければ、本人の努力不足、わがままと自己責任を押し付けることも想定内だ。
「自立」という言葉は、為政者からするとチョー便利な言葉だ。
カッコいい言葉だ。
発すれば、だれもが簡単に自立できる、魔法のランプ、打ち出の小槌だ。


福祉・社会保障の必要性を評価・判断する行政の勘違い
政治家や行政、国・自治体が「自立」を用いる時、その意味する「自立」の程度・基準を明確に示さなければいけない。
そもそも、精神的に政治家・行政担当者自身が本当の意味で「自立」しているのか。
意地悪い言い方をすれば、彼らの給料・報酬や受給保険の源泉は、他の人々や企業が負担した税や保険料なのだ。
経済的に自立しているわけではないことを自覚していないのだから、精神的な自立も成し遂げていない。
そうなる。
生活保護を受ける基準を満たしているかどうか評価し、決定する。
母子世帯への現金給付を引き下げ、就労支援することで自立支援に替える。
そういう法制化や運用を進める政治・行政は、だれのために行っているのか、何のために担当しているのか、大きな勘違いを犯している。
カネを節約すること、財政支出を抑制することが仕事、成果とされているのなら、順番が違う。
政治家も官僚もお役人も、自分の給料や賞与を下げ、公費を節約することから始めなければ、筋が通らない。
本来は、コストがどう、財政がどうという前に、こうした社会問題、貧困や格差が起きない、人々・国民・住民が暮らす社会を創り上げることが、最優先・最重点職務なのだ。
もし官僚や公務員が勘違いしているなら、それを改めさせるのは、政治家や内閣や、都道府県知事や地方議員だ。
ところが、彼ら自身が平気で、反社会化行動を取り、社会的孤立、格差貧困を拡大する反政治・反行政を進めているのだ。
日常を生きる社会は、未来の社会に続いている。
望ましい循環社会を、コロナ禍のような厄災や、毎年のように発生する自然災害があっても、創り・継承していくことを「社会化」しなければいけない。
多数を占める団塊世代を初めとする高齢者世代は、残りの時間の何分の一かは、そのために使うことにしよう。
できること、すべきことは種々ある。
そして現役世代は、自分たちと子どもたちのために、何分の一かの時間を使おう。


弱者に後ろめたさを感じさせない全国民適用社会保障保険制度としてのベーシックインカム、生活基礎年金制度
生活保護を受けることができる基準を満たすの世帯のうち、実際に受給している世帯の比率を「捕捉率」という。
その率が日本は著しく低く、かなり前だが、2001年では16.3%と言われている。
実際に生活保護を受けている世帯数と全世帯数との率、保護率を合わせると、概要で、100世帯のうち、10世帯が生活保護基準以下の生活をおくっているが、実際に生活保護を受けているのは、たったの2世帯だけ。
そういう現実があるのだ。
生活保護を受けることが恥ずかしいと感じ、黙って耐えている人が大勢いるわけだ。
自ら声を上げられない人もいれば、あえて手を挙げずに、真迷惑や世話を掛けずに頑張ろうという意志を持つ人々もいるのだ。
真正直に生きることを選択した人や、福祉や社会保障を受けざるを得ないことに恥ずかしさや後ろめたさを感じ、声も手もあげない人たちが、日本の社会に多数存在する。
敢えてこの表現を使わせてもらうが、弱者が後ろめたさを感じない、彼らに後ろめたさを感じさせない社会保障制度、社会保障システムを、社会は用意すべきではないか。
そう思う。
受益者が自己負担を増やすべき、現役世代の負担は抑制すべき。
高齢者の定年を一層延長させ、年金受給年齢を遅らせ、高齢者に偏重する年金給付自体を抑制する。
世代間の不公平感を多少なりとも取り除くことが、あたかも全世代型社会保障制度改革の最善の策であるかのように議論化し、法制化で社会化する見せかけの政治・行政。
それへの疑問も一つのきっかけとなり、真の意味での「全世代・生涯型社会保障保険年金制度」を思いついて、その考察を重ねてきている。
その思いは、コロナ禍での人の生活や仕事、そして社会のあり方の変化を経験し、一方で母子世帯やひきこもり世帯、などの社会問題への対応を考えることで一層強くなっている。
給付を受ける資格がどう、基準がどうと問われることはない。
だれもが、産まれきて、死を迎えるまでは無条件で、一定基準の生活を等しく送ることができる給付を、毎月年金として受け取る「ベーシック・インカム」「生活保障基礎年金」制度。
その給付を基盤として、すべての国民・住民が、それぞれ自分が目指す、自分が目標とする「自立」を果たし、実現できる社会を2050年までに。
その「自立」の意味・目標の中に、社会的貢献も含めて考え、行動する人々が一人でも多く出現することも願って。
当サイトも、その目標・目的をもって取り組んでいきたい。


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