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アウティング禁止条例は、国が先行して法制化すべき課題

昨日まで、3回連続で、ジェンダー、LGBTQ等に関するテーマで、以下投稿してきました。

同性婚認めないのは違憲判断から考える結婚と性:「共生婚」法制化提案(2021/3/21)
同性婚と選択的夫婦別姓制:「同性婚を共生婚に」提案のあと考えたこと(2021/3/22)
LGBTQ、LGBT+アメリカで多様化する性的指向、性自認(2021/3/23)

三重県が、国及び全都道府県に先駆けて、2021年3月23日アウティング禁止条例案を可決成立


その3回目を書いたその日に、中日新聞が1面で、三重県が全国都道府県で先駆けて「アウティング禁止条例」を成立させたことを報じていました。

(参考)
⇒ 「性の多様性条例」案、全会一致で可決 三重県議会、都道府県で初
  アウティング被害止まず 支援団体「法整備が必要」 三重で禁止条例成立

この条例成立の背景になった事件については、以下のWikiPedia で確認頂ければと思います。
⇒ 一橋大学アウティング事件 – Wikipedia

その悲しい出来事から大学に対して行った損害賠償訴訟の結果については、以下の記事で確認頂けます。
⇒ 同性愛暴露「許されぬ」 遺族側控訴は棄却―一橋大生転落死・東京高裁(2020/11/25配信)


  

アウティングとは、カミングアウトとは

アウティングとは、好きになる相手の性別「性的指向」、自分の認識する性別「性自認」を、本人の了解なく第三者に暴露することを意味します。

カミングアウトは、自身の意志で行うもの。
対して、アウティングは、本人の人権や意志を無視して、興味本位で、あるいは当人を中傷する意志・意図をもって外部に公にする行為。
まさに「暴露」です。

過去は、「ついうっかり」や、本人に言わせれば「悪意はなかった」となるのでしょうが、とんでもない。
悪意、悪質のものであることに間違いありません。

カミングアウトは、周囲や知人・友人に積極的に認めてもらいたいと思うポジティブな行動です。
しかし、日本人社会においては、まだまだ、多様性の一つとして、自然なことと受け止めることができるまでに、ある意味私たちの心が成長・成熟していない状態と言えるでしょうか。


ジェンダー問題解決に率先して取り組み法制化しない国、政府・政権政党こそ恥


ならば、政府・自民党は、国のレベルで、その風土・文化を進化・成長させるべく、こうした法律案を提案し、成立を図るべき。
そして、自治体ごとにそうした条例化の手順・手続きの必要がないようにすべき。
そう思うのですが・・・。

そうした後進性、言い換えれば、基本的人権の範疇にある社会問題への取り組みの後進性こそ、国家の「恥」と認識すべきなのです。
しかし、多数を背景とした政権政党が言い、守ろうとする伝統とは「恥」の意味を履き違えた上でのことばかり。
本当に恥ずかしい限りです。

そういう意味では、若手知事の先頭グループを形成する一人である鈴木英敬三重県知事(46歳)の今回の姿勢は、非常に高く評価されるべきかと思います。

増えるパートナーシップ制度導入自治体と同性カップル証明

この条例は、「性の多様性条例」の中に盛り込まれたもの。
他に、東京都国立市や東京都港区も導入しているが、都道府県レベルでは最初です。
また同県は今回の条例と並行して、同性カップルなどを公的に認める「パートナーシップ制度」についても要綱での導入を表明。
今年9月の施行を目指しているとのことですが、パートナーシップ制度の導入自治体は、既に多数あります。

⇒ 全国で1301組の同性カップルに証明書 : パートナーシップ制度スタートから5年(2020/11/9)
で、2020年11月時点で、採用自治体が64を数え、その記事のタイトルのあるように、1301組の同性カップルに証明書が発行されているのです。

自治体の方が、住民に寄り添った政治・政策を採っているわけで、国、すなわち自民公明政権政党の、国民のための政治という言葉が、なんとも空虚に思えてなりません。
その実態・姿勢は、恐らく何年経っても変わらないでしょう。

こうした政治を許していることを、そろそろ私たちは真剣に「恥」と思い、私たちに跳ね返っている「恥辱」を払拭しなければなりません。

しかし、政治だけを「恥」の対象とすることにも、実は疑問を持つべきでは、と思います。

どうして人は他人のプライバシーに土足で踏み込むのか


悪意・悪質のアウティングを行う人間が、存在し続けるであろうことを認識しておく必要があること。
そして、その撲滅を、日常生活の中で、じわじわと図っていく必要があることも、私たちの課題とすべき。

法律で規制することは、本来、最後の手段として、が望ましく、人間性自体が、成長・成熟していく社会であるのが理想です。

しかし、実はそれが最も難しい課題なのかもしれません。
人の精神構造とそれに基づく行動パターンは、本質的には、古代から変わっていません。

加えて、情報化社会の急速な進展、SNSの日常生活での習慣化と膨大な情報の拡散は、人のプライバシーへの関心の異常さを麻痺させる社会へ変異させています。
自分のことは棚に上げて、他を批判・攻撃する。
日常生活における批判的書き込みこそが、自分の存在価値を確認でき、書くことで正当化されるという自認意識の膨張。
垂れ流しのSNSシステムは、責任感覚も麻痺させる暴力システムとなっています。

プライバシーという基本的人権。
だれもが望むはずのこの権利を、自分を棚に上げて、奪い、攻撃する人々が常に存在する。
なぜ、他人のプライバシーに、土足で踏み込む輩が増え続けるのか。
著名人も、広告収入の獲得目的も兼ね、フォロー数を自分への認知・人気の証拠とばかり、図に乗ってプライバシーの利活用に現をぬかす。

こうした時代にあって、多様性の現実は、情報発信の量と速さの勝負になってしまうリスクをも孕んでいます。
それがSNSに限定された事象でとどまるのならばまだ将来への期待も保持できるのですが、政治や行政は、すべてリアル、生身の人間とその社会での営為。
そのための政治・行政が機能していない。

そうした政治と行政担当者の意識自体が麻痺している現状をいかに変えていくか。
どうすれば変えていけるか。

結局、ジェンダー問題も、そこに行き着いてしまいます。





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