国費、公共費の再定義と財政改革を:公費、公的資金から考える国家財政と経済-2

政治・行政政策

国、公とは何かをシリーズで考察してきています。
一昨日、昨日と以下展開してきました。

国家、公「おおやけ」「こう」、公共の意味とその正体:憲法から考える国政と主権(2021/3/16)
公共、公的なるものの正体:公費、公的資金から考える国家財政と経済-1(2021/3/17)

今回は、引き続いて、「公共」を考える中で、従来の「公費」についての認識と取り扱い方法を変革すべきではないか、という議論に行き着きます。


公共料金に見る、地域・全国独占性の高い生活インフラ事業の公共性

古くは3公社と言われた、国有事業であった3種類の公共事業がすべて民営化されてから相当の年数が経っていますが、3公社とは何かを知らない世代の方が多いのではないかと思います。
また5現業に含まれていた、郵政公社事業もアルコール専売事業も民営化され、国有林野事業は企業的運営が廃止、日銀券や切手の印刷等にかかる事業や造幣事業は、それぞれ 行政執行法人たる独立行政法人国立印刷局および造幣局に改組されています。

ところでネット上で種々の申込み手続き上の本人確認の証拠書類として、公共料金の領収書を求められることが多々あります。
電気料金、ガス料金、電話料金、水道料金などの領収書を用いることが大半かと思いますが、水道事業を除けばみな民営化されているにも拘らず、なぜ公共料金と呼ばれているのでしょうか。
それは、ご承知の通り、どちらも生活を送る上で、必要不可欠のものであり、ほとんどすべての世帯が利用し、費用を支払っているためです。

社会全体をカバーしているという意味で「公的」であり、社会共同体を維持していく上でその施設や事業を「共通」に利用しているという「公共性」があるわけです。
それは同時に、それぞれの事業者・企業は、その事業の公共性から、サービスの質の保証、利用環境の整備・改善、事業の安定的な運営管理、事故・災害時の早急な適切な対応などが、義務付けられていることを示しています。

国家や地方自治体の公務と同等、あるいは、生活のインフラそのものの機能を持つ故に、それ以上の責任を担っているとも言えます。

公共事業に充てる公費、その原資は

もう一つ、別の観点からの「公共」を見てみます。

公的施設の建設や、河川等の改修工事など、建設・建築等に公費・国費を投じる場合、あるいは民間が行う事業に、公共性を見出して補助金などを投入する場合、公共事業に公費を充てるという言い方をします。
その支払先は、ほとんど民間事業であり、その事業者は、入札などで工事などの担当する権利を得て、事業利益を得ます。
よく、景気回復、経済成長を目的とした有効な手段とされており、経済界からの要請が大きい領域です。

民間企業などに対する発注・調達に公費を使って行うのが広義の「公共事業」というわけです。
しかし、その公費も、現状は、個人や企業から徴収した税金、すなわち共助による「公共費」と言い換えることができるものです。

その公共費の使う方法、金額を決定するのが国の財政とその予算です。
コロナ禍では、さまざまな助成金・補助金・給付金の給付に必要な支出の原資が大きく不足し、赤字国債の発行で賄うしか他に方法がない状態になっているわけです。

真の公費を「国費」と呼ぶ


そこで、MMT論者の主張が勢いを増し、税金や保険料に頼らない財政への転換が叫ばれているわけです。
この税にも保険料にも頼らない財政。
これを財政と呼ぶのかどうかの問題が残りますが、仮にそれが可能とすると、これこそ「公費」と呼ぶにふさわしい、国の責任で自ら発行・調達する資金ということです。

そこで提案です。
この税金にも保険料にも頼らずに、国の責任で発行する資金を「国費」と統一して呼ぶ。
従来の国民の負担・拠出による税を原資とする「公費」「公的費用」は、「公共費」と呼んではどうだろうかという提案です。
地方交付金を主財源の一つとする地方公共団体、地方自治体の公費も「公共費」です。

国費と国費事業と国費規律

従来の財政規律は、公共費の予算管理の範囲で必要になります。
一方、国費はその枠とは別の管理方式に拠ることになります。

まず、明確な目的を持ち、個人や民間企業が負担する必要がない性質をもつ事業にのみ、特定の金額だけ活用することを事前に決定しておく。

例えば消費増税は、特定の利用目的に充当するためのものだったのですが、反故にされてしましました。
そのようなことを許さない法律による拘束、規律・規定・基準が、この国費用の通貨の発行と利用管理に絶対に必要です。

国費扱いすべき事業選考と国費管理システム構想化


例えば、原発の処理にかかる費用
現状の財政では、この膨大かつ半永久的に公共費支出が必要とされます。
しかし、本質的に、国民一人ひとりがその責任を分担し、徴収された税で、分担すべきものでしょうか。
あるいは、大規模自然災害により、絶対的に多数の国民が被災し、国土の復興も含めて膨大な財政支出を余儀なくされる場合。
従来に方法では、復興税を追加徴収されたり、赤字国債の発行により一時的財源化し、国債償還時期に処理を先送りする選択肢しかなかったわけです。

こうして徒に国民に負担を一方的に強いて、安定した生活、豊かな生活の実現を先送りする、あるいは諦めざるを得なくする。
もうそれが当たり前、という財政の在り方には終止符を打つべきではないか。
そう考えるのです。

本質的に、国民一人ひとりに過去の費用の返済や、想定外の負担を負わせる財政システムから脱却する。
そのための資金調達方法と資金管理システムを、新たな「国費」システムとして開発・構築する。

21世紀の新しい社会経済システム、政治システムとして位置づけ、議論・検討し、その前半で合意形成し、後半には導入・稼働・機能している。
2030年までに議論と考察を進め、具体的な管理システムのデザインを終える。
次の10年間に、新しい「国費」必要事業の選択・決定と見積もりを行い法制化する。
2040年から実際に順次稼働に入る。
2050年以降は、軌道に乗っている。

そんな取り組みを想像しています。

国の責任が問われる事案と損害賠償責任のために必要な、公務員による公務責任保険制度導入


ところで、現在もさまざまな国を被告とする訴訟が行われています。
中には、国に損害賠償を求める訴訟も多く、時に原告側のその主張が認められ、国や自治体がそれなりの金額を支払うケースも日常的に見られます。

こうした場合の資金も、先の例で言うと「公共費」支出です。
言うならば、国民の訴えが認められれば、国民がその賠償金を分担している。
そういう構図、システムが機能しているのです。

これもある意味、矛盾です。
かといって、責任から逃れることは当然できません。
また、これらの訴訟案件は、係争・審理に非常に年数がかかり、案件発生時の行政体制・担当者が、判決時にはいないのも普通にあることです。
場合によっては、過去の担当公務員の責任が問われるべきであっても、現実的にはムリで、財政支出するしかない。

その案件の当事者であった公務員(政治家含む)の受け取っていた賃金も実は「公共費」で、全てを国民が負担しているわけです。
こうした国や自治体を相手取っての訴訟および損害賠償にかかる費用の財源として、公務員給与から低率の保険料を控除・徴収する方法を検討しては、と考えるのですがどうでしょうか。

もちろん、自治労など大反対でしょうが、これまで不思議にだれも問題提起してこなかった課題です。
これも、財政改革の中の一つの検討課題に組み入れてはどうかという提案を、ここでしておきたいと思います。

ベーシック・ペンションは、国費を投入する社会システム、社会経済システム


さて、随分長くなりました。
今回の最後は、先程の、従来型財政システムの枠外での特定目的型国費事業として、日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金支給のための通貨の発行をまず指定すべき、という提案で締めくくりたいと思います。

ベーシック・ペンションについては、当サイトの昨年投稿記事と、当サイトから今年元旦にスピンオフして開設した専門サイト http://basicpension.jp でじっくり確認頂ければと思います。

次回、「公」シリーズは、先程提起しました内容と関係する「公務員」についてです。



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