公共、公的なるものの正体:公費、公的資金から考える国家財政と経済-1

政治・行政政策

前回、
国家、公「おおやけ」「こう」、公共の意味とその正体:憲法から考える国政と主権(2021/3/16)
と題した記事を投稿しました。

ベーシックインカム(BI)やベーシック・ペンション(BP)を巡る国家とすべての受給者である国民との関係を考えることと重ね合わせて、国家、公とは何かを考えつつ、「公共」を私なりに、
1)公(おおやけ、こう)を共(とも)にすること、公を共同・共有すること、及び
2)「共同」「共有」の在り方を、「公(おおやけ)」と結びつけて規範・基準・規定化したコト、モノ
と定義しました。

その流れに沿って、今回のテーマに入ります。

憲法にある「公共の福祉」とは

わが国の憲法の基本的人権について規定する<第三章国民の権利及び義務>のなかに、以下の規定があります。
BPの導入の基本的な目的としている条文でもあります。

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

両方に、「公共の福祉」という表現が用いられています。
憲法で規定する自由も権利も、公共の福祉のために利用することを求められ、個人の尊重、生命、自由、幸福追求権も、公共の福祉に反しては認められない。
そう解釈もできる(する必要がある?)表現です。

これには、黙ってハイそうですか、と受け入れることには問題がありそうな気がします。
この「公共の福祉」とは、一体どういうものか、どの範囲を言うのか、気になります。
「個人」の福祉ではなく、「公共」の福祉になっていることが鍵のような気もします。

そこで、
1)公(おおやけ、こう)を共(とも)にすること、公を共同・共有すること、あるいは
2)「共同」「共有」の在り方を、「公(おおやけ)」と結びつけて規範・基準・規定化したコト、モノ
とした公共をイメージし、それに「福祉」を結びつけてみましょう。

公共の福祉は、公が共同社会に行う福祉として捉えるか、公共自体を国とみなして、国の福祉制度・政策と個人の自由・権利と関係させて、福祉の利用・受益に制限をかけることを想定してのことか。
実は、基本的人権や幸福追求権などを根拠にBPを提起するに当たって、背後霊を感じるかのごとく、気になっているのが、この「公共の福祉」条項なのです。

その不安を連想させる憲法条文の他の一つに、以下があります。

〔財産権〕
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる

正当な保障という条件がありますが、私権の一つである財産権が、公共のために使われてしまうこともある。
ならば、BIやBPを何か、例えば、先述の意見のように「隷属・従属」を強いることとの差し替え、引き換えに支給する、ということをどなたかが想像してもやむを得ない・・・。

そう考えると、BI.BPに限らず、政府はどんなことでもできるわけで、そんな不安・懸念を抱かせるような政治、政府の実現を、やはり私たちは、自らの選択、責任で阻止するしかないわけです。

その基本を常に確認する上で、現在の自公政権による政治の危うさを常に監視し、利権主導・権力志向と復古主義行政、誤解も甚だしい自助に名を借りた新自由主義政治を阻止する必要があるのです。

公助と共助との違いと関係

自民党前安倍内閣の時代から、現菅内閣に至るまで、まずは自己責任による「自助」、それが不可能ならば「共助」、そして最後の手段として「公助」というお粗末なレトリックを使う自民党の体質・本質を、十分認識しておく必要があります。

彼らが言う「公助」とは、カネを出すことです。
「共助」の「共」には、公共性は含みません。
せいぜいで、地方公共団体である地方自治体が拠出する公的資金が含まれているかもしれませんが。

いずれにしても、政府にある金は、自分たち政府・内閣が使うためのもの。
その認識は、国家財政を司るのが内閣なので、ある意味当たっているのですが、大きな勘違いの元は、そのお金が、政府が稼いだものではなく、国民と企業等が負担した税金か、国債を購入するために使用したお金だということ。

従い、彼らが言うところの「公助」とは「共助」を代行・代理して、国民に代行して「公共助」を行うことと理解すべきなのです。

公費とはなにか、国費の源泉はなにか、財政とは

憲法第89条はこんな内容です。

〔公の財産の用途制限〕
第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

「公金」「公の財産」について述べた、憲法<第七章財政>では、以下のように、国家財政、国費、予算に関して規定しています。

〔財政処理の要件〕
第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
〔国費支出及び債務負担の要件〕
第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
〔予算の作成〕
第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
〔予備費〕
第八十七条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。

なぜここでこんなことを持ち出したか。

政権政党が及び内閣が、自身の権力とみなす財政権、国のお金と称する、民間から集めた資金を予算化し、予備費も設け、みずからの都合をも反映させて費消する権利を行使することの意味。

これが、本来、主権としての国民が持っている「公共助」としての権利を、一応政府、政権政党に信託、信じて託したものであることを申し上げたかった理由です。

国が賠償責任を負うときの、資金の源泉

また憲法第三章に戻って、次の条文を確認します。

〔公務員の不法行為による損害の賠償〕
第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

公、おおやけの業務に携わる、職業としての「公」務員。
公務員が、仕事上、法に反して仕事を行い、その結果損害賠償を行わなければいけない状況を招いた。
その場合に支払う必要が生じた損害賠償に充てるお金は、公費で賄われます。

この公費、決して国が自分で働いて得たお金ではありません。
当人が、自分の給料から払うよう強制されるわけでもあません。
国民や企業が働いて、あるいは事業により収めた税金を、公費として使うわけです。
考えてみれば、これもおかしな話です。

国、あるいは地方自治体を相手取って訴訟を起こし、その責任を追及して、損害賠償を要求する。
恐らく、そうした係争は現状いくつも起こされており、国(自治体)側敗訴、上告断念、賠償実行等というプロセスをたどるケースも多いと思います。

地方公共団体の公共とは

加えて、<憲法第八章地方自治>には、以下が規定されています。

〔地方自治の本旨の確保〕
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
〔地方公共団体の機関〕
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
〔地方公共団体の権能〕
第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

国政の延長線上にあり、一方では、国政とは一線を画す性質も持つ、地方自治・地方行政。
ここでも同様の公的資金をめぐる課題があります。

地方の一定の単位共同社会における「公」の在り方、それが地方政治であり地方行政です。
特に、地方自治体の財源に関する課題は、税制と大きく関わっており、今回ここでのテーマとすることはありません。

国家財政における公費、公的資金の性質と経済政策との関係

以上の展開からの、今回の帰結です。

それは、現状の日本の政治・行政において用いられる財政資金の殆どが、本来は、個人や企業などの経済活動に基づき税として徴収されたものか、国債を発行して調達したお金が大半であり、純粋に国の事業により得たカネは、極めて少ないということ。
すなわち、国費、公費や公的資金とされるお金は、すべて、共助により徴収されたものであり、その予算化や執行は、主権をもつ国民の信託により行われるもの、ということを確認するのが目的でした。

そしてそれを知ることで、これからの政治への関わり方、参加の仕方などを現実的に考え、その都度政治・行政をどのように導くのかという責任の果たし方、権利の遂行の仕方を考えていくことにしたいと思います、
そこに、経済の望ましい在り方をも自ら考え、判断できる見識をも持つべきことも付け加えたいと思います。

しかし、そこで終わっては、これまでと、財政政策、経済政策の抜本的な解決・改革には到達できません。
コロナ禍で勢いを増しているMMTを簡単に受け入れることで、それが可能とも思えません。

では、どうすべきか、どうあるべきか。

前回と今回のテーマを確認しつつ、
1)「公費、公的資金から考える国家財政と経済-2」として、これからの財政政策・経済政策の在り方
2)公務員とはなにか
この2つの流れに分流して次の話に進みたいと思います。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


2024年4月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
TOP