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公共の福祉と権力論:憲法の読み方と共通認識化の難しさ

以前に、
「普遍的Universal」には気をつけて。ヒゲダンUniverseではありません(2021/2/20)
という記事を投稿しました。
その最後に、続きとなる投稿を行う旨書きました。
今回がそれに当ります。
下記に引用した憲法前文にある「普遍的」なるものについて考えた後の続きになるものでもあります。

憲法前文から

憲法の前文に、以下の記述があります。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

国家への隷属・従属リスク論

現在、当サイトから発生した日本型ベーシックインカム、ベーシック・ペンションの専用サイトを運営し、Facebookグループに転載紹介しています。
その転載投稿において、私が提案するベーシック・ペンションを評価して、こんなコメントを下さった方がいました。

信用創造でおカネを発行する主体が、中央政府に置かれる限り、個人の尊厳は国民国家に従属することになるのではありませんか?
カレンシーと呼ばれるものが、使い途を限定されるのも個人の自由と尊厳に逆行するという印象です。

この方に限らず、というよりも私自身も、そのリスクをベーシックインカムには感じています。

例えば、
中国がベーシック・インカム制を導入したら(2020/6/30)
脱貧困「達成」宣言の習近平中国とベーシック・ペンションによる日本の貧困撲滅(2020/12/21)
で、共産党独裁国家におけるそのリスクに危惧しつつ、同時に、保守右翼政権にも同様のリスクがあることも触れました。

投稿氏の意見は、中央銀行ではなく中央政府が通貨発行権に基づいてBIを発行・支給することを想定してのことですが、いずれにしても国家に従属するという観念を論じています。

しかしそこでは、国家とはなにか、という視点を欠落させています。
国家イコール国政担当者イコール政権政党。
ですから、その権限を行使する国家とは、国民が選出した代議制民主主義に基づいて多数を形成する政党になります。
現政権における従属を否定する立場はもちろん、野党が政権を取れば取ったで、同様のリスクがあるわけです。

中央銀行が完全に独立性を持ち、ベーシックインカムを発行し、どこにも従属・隷属するリスクがない社会体制。
それは、新たに憲法などに規定すべき要件として確立する課題が発生することを確認しておく必要があります。

いずれにしても、隷属・従属などさせられるはずもない社会体制・政治体制を形成・継続させ、その規定に関しては、どんな政治体制になろうとも守り続けられるようにするのが国民の務めになることを確認しておく必要があります。

そのことは、前文で、

・国政は国民の厳粛な信託による。
・(国政)権力は国民の代表者が行使する。
・(国政による)福利は国民が享受する。

と謳っていることで確認できるはずです。


改めるべき「権力」表現

と言いましたが、ここで一言、この前文への文句を言っておく必要があります。
今、素通りしましたが、「「権力」は国民の代表者が行使する。」という文言です。

この「権力」という表現が、人間を勘違いさせているのです。
政権をとれば、この権力が手に入る。
総理大臣になれば、この権力者になれる。

そんな感覚で、国会議員になる者が何割かはいるであろう、ということです。
選挙区選出議員は、自分の選挙区に利益・利権を持ち帰ろうとする。
業界や特定団体の支援を受けて議員に選出されれば、その組織に何らかの利益を誘導する。
それらが可能な権力を、政治家、そして政権政党議員は持つことができる。

権力志向、権力指向です。


「権力」ではなく「権限」へ


憲法改正議論は、ほとんどが9条に焦点を当ててのものですが、真の憲法改正の議論は、こうした細部にも焦点を当てて議論・検討すべきと、私は考えています。

すなわち、「権力」という表現は、国民により「信託」された国政という概念・観念には相応しいものではなく、むしろ、限定付き、一定の限度があるという意味で、「権限」とすべきではないかと思うのです。

公共、公的なるもの、の再定義を

そこにもう一つ加えるべきと考えているのが、「公共」と「公」の定義です。
例えば、憲法の以下の条文に用いられている「公共の福祉」「公共」や、公務員の「公」、「公金」「公の財産」の「公」の意味・範囲についてです。

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

〔公務員の不法行為による損害の賠償〕
第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

〔財産権〕
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

〔公の財産の用途制限〕
第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

〔地方公共団体の機関〕
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

もうお気づきと思いますが、前安倍政権時から、というよりも自民党そのものの思想というべき、「自助」自己責任制社会志向と連なる、というか、相反する「共助」「公助」の「公」の定義とイコールの課題です。

コロナ禍における緊急事態宣言下の、種々の規制の実施の是非の議論は、国民、個人やその事業等の私権の制限と直結していることで、与党は与党なりに悩み、野党は野党で、政権政党による運営の困難さなど歯牙にもかけず、あるべき論を展開する、見慣れた、想定内の光景を反映したものでした。

国政担当者にとっての「公共の福祉」と、国民サイドにとっての「公共の福祉」


まず上記の憲法のいくつかの条文にある「公共の福祉」。
そこには、国政担当者、政権政党の視点から見た「公共の福祉」と、国民サイドから見るべき「公共の福祉」、両面があると感じます。

前者はもちろん、国家権力者が考える「公共」をとは、その権力行使を正当化・強化するための枠組みとしての「公共」に向かいます。

一般的には、その方が強いのではないかと思いますが、私は、もちろんそれに制約を加え、その範囲を示すために、「公共」の概念と範囲の定義を求めるべきでしょう。

そして重要なのは、国民サイドが、政権の権限行使を抑止するためのそれに加え、地域社会や種々の公共の場における個々人相互の権利・義務を尊重し、遵守すべきという「公共性」も、そこに定義化して加えるべきということです。
この辺りの考え方については、また別の機会にと思います。

そして、他の「公」についても、別の機会に考えることにします。
「公助」の「公」。
「公的」なるものの「公」。
「公務員」の「公」。


もちろん、「公共の福祉」における「福祉」の現状の定義・範囲と、望ましい定義・範囲についての再検討も、同時に課題となります。
実は、それは、提案しているベーシック・ペンションの意義・目的、それと関係する社会保障制度・社会福祉制度と密接に繋がっていることは言うまでもありません。

⇒ 日本国憲法 http://basicpension.jp/?p=670

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