公助・共助、公的資金・国家財政から考える政治改革と財政システム改革

政治・行政政策

ここまで「政治改革と財政システム改革」シリーズとして、以下考えてきました。

菅総理「生活保護がある」、麻生財務相「定額給付金再給付なし」発言が求める政治改革と財政システム改革(2021/1/29)
「税と社会保障の一体改革」の欺瞞が求める政治改革と財政システム改革(2021/1/30)

今回は、その3回目。
公助・共助・自助と関連させて、考えてみることにします。

公助・共助・自助の誤った首相・自民党認識と財政システムとの関係

ここ数年での流行語とまではいかないが、何かにつけて用いられ、話題にもなっている「公助・共助・自助」という用語セット。

「助」が入るので、だれが、だれを「助」するのかを表す言葉だろう。

「公助」とは、「公」が、個人や企業、すなわち「民」を助ける、ということだろう。

「公」が「公」を助けることもある。
国が、地方自治体を助ける。
でもこれは、ある意味、国の代わりにさまざまな公的事業・公的サービスを行って自治体向けなので、助けるというよりも、本来、委託する、お願いする筋のことだろう。

意外に判然としないのが「共助」だ。
どうも政治家や官僚の解釈では、地域や住民が「共」の主体と考えているフシがある。
多分「民間企業」も「共」とは想定していないのではないか、多分。
なぜなら、「官民」一体という時の「民」はほぼ「民間企業」を指すと考えられるから。
まあ、都合が良い時には、民間企業も「共」にともに組み入れてしまうだろうが。

「自助」は「自分」の「自」、個人を意味する「自」だ。
もちろん「自宅」の「自」も含むだろうから、「世帯」一つ一つも「自」に括るだろう。

さて問題は「公」である。



国家予算財源「公」的資金は、本来「共」から委託された資金

前回テーマとした「税と社会保障の一体改革」や、守るべき「財政規律」という場合の「財政」は、ほとんどその財源は、国民や企業が負担した「税金」である。
国債も財源とするが、この場合は、国債を購入する人や法人、時に外国の人や企業や場合によっては国にも出どころが及ぶ。
それらが持つ「富」「資金」が元手である。
しかしこの「国債」には利息を付けた上で買い戻す、召喚する。
原則としてこの買い戻す資金は、やはり税収からである。

ということは、政府予算、地方自治体予算の財源は、国や自治体がみずからの力、事業などで生み出したものではないわけだ。
しかしこれを「公的資金」「国のお金」「自治体のお金」として予算計上し、使う。
ゆえに実態は、「共」の努力が集約、集金された資金であり、そのお金の使い方の決定・配分方法を内閣と立法府に委嘱したと考えるべきなのだ。

だから大事に、有効に使おう、という考え方を、内閣・行政、そして立法・国会は基本とすべきなのだ。
ゆえに、既に逃げてしまった前安倍内閣の桜を見る会の私物化やモリカケ問題など、自己・自党に資金的貢献を期待できる企業や団体等への利益誘導型の公的資金投入は、あってはならないことなのだ。

それをあたかも、自分の金であるかのようにいつも話している麻生財務省相などは、その任にない象徴的国会議員なのだ。
そんな人間を国会議員として多選して送り出している選挙区住民は、何か特別いいこと、恩恵を被っているゆえと勘ぐられても仕方ないことを理解できるだろうか。
麻生に限らず、そんな疑問を抱かせる事件・問題を起こす議員が、絶えることなく存在する「公」の人々。
彼らは、「公」のため「共」のためではなく、すべて「自助」のために国会議員として活動している輩なのだ。
彼らの報酬は、すべて自助努力の結果として拠出した「共」的資金から支給されたものにも拘らずだ。

そうした事実・リアルを理解・認識せず、自助ファーストを喧伝する首相初め内閣閣僚と自公民政権政党国会議員に、国家予算の配分の権限を与えることなど本来あってはならないのだ。

しかし、そうした政治システムが根をしっかり降ろした日本社会。
その政治システムに乗って管理・運営されている国家財政システム。

それを改め、望ましい財政システムを構築するためには、やはり現状の政治体制、政治システムを改革するしかない。
財政システム改革は、その政治体制を変革することでしか着手・実現できないのである。

政治体制の変革は、政権政党が代わり、内閣が代わり、行政を変えるという連鎖を引き起こす。
従い、言うまでもないが、どう改革するか、政権政党が、適切な方針・方策を持っており、その政党が国民に支持され、国会議員を多数選出し、必要な法案を提出し、可決成立する議会制民主主義に基づく手順を踏む。

そうした役割・責任を担うことができる政党が果たして現在存在するのか。
少なくとも、そうした方針・方策、そしてスケジュールを提示できる政党は存在しない。

日銀発行専用デジタル通貨発行・支給による真の公助資金、ベーシック・ペンション導入を方針軸とする女性新党結成への期待



残念ながら、ある意味ゼロからのスタートなのだ。
甘い期待・認識は、スタートの時期・時点を見誤らせる。

そのゼロの起点で考えるのが、女性新党であり、政策の軸が、日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金制度の導入が適切と考えている。

ベーシック・ペンションとは何か、その財源はどうするのか、については、こちらで確認ください。⇒ 日本独自のベーシック・インカム、ベーシック・ペンションとは(2021/1/18)
⇒ 諸説入り乱れるBI論の「財源の罠」から解き放つベーシック・ペンション:ベーシック・ペンション10のなぜ?-4、5(2021/1/23)

こちらへのご参加をお待ちしています。
⇒ ベーシック・ペンション、日本独自のBI実現をめざすクラウド・ミーティング

もちろん、女性新党の結成自体、甘過ぎる期待ではある。
しかし、現状の既成野党に、この方針・方策を十分理解し、理論武装した上で自党に組み入れ、国民を十分理解納得させることができるか。
万一それが可能ならば、そこに委ねることが選択肢として浮上する。

10年がかりの変革への取り組み。
そのくらいの覚悟とシナリオ、スケジュールが必須であろう。
10年間で準備。
次の10年で、ベーシック・ペンションの順次導入実現。
2040年までにその目標が関連する社会保障制度・福祉制度も実現していることで、理想に近い社会システムが見えてくる。


こちらへの女性の皆さんのご参加をお待ちしています。
⇒ ネットサロン・平和と社会保障と民主主義を考える女性の会

国家プロジェクト30年計画を新政治体制の命題とし、世代を継承しての取り組みを



その他の国家的プエオジェクトも、10年スパン、3サイクルの2050年までのビジョンと計画を策定し、着手の基盤創りが最初の10年で2030年までの第1フェーズ。

種々の課題の整理と各課題分野の10年スパンでの計画概要もいずれ提起していきたい。

ゼロカーボン、再生可能エネルギーによる完全自給自足水素国家社会が完成するのは2050年とイメージしている。

そういう構想力と実行責任を自覚を持つことができる政党およびリーダー。
コロナの経験で、その意識・使命感をもつ人材が出てくるか、政党が覚醒するか、あるいは新しい政党の芽吹きがあるか。
今年の動向を注視したい。

引き続き、次回以降、「公共」「公務」「公務員」等の視点で考えてみたいと思っています。



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