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安倍晋三とは一体何だったのか:コロナと酷暑でいつもと違う8月の景色

原爆の日、終戦記念日がある特別な8月


コロナは、これまで普通に送っていた日常生活が、決して安全で、健康で、ある程度は保証されたものでなかったことを気づかせた。

8月は、夏休み真っ只中で、盛夏の季節。
しかしお盆を過ぎれば、秋風が吹き始め、虫の音が聞こえ始め・・・。

そうした四季歳時の感じ方も、コロナと、おそらく地球温暖化がもたらしている異常気象による酷暑で、体にも心にも馴染まない、馴染めない月、日々になってしまった。

恥ずかしいことだが、私は元々お盆という行事に無頓着というか、興味関心がないというか、未だに、お盆がいつからいつまでなのか、覚えられないし、覚える気になったこともない。
先祖を敬い、お墓参りをし、という行動、ライフスタイルにもほぼ無縁だ。

生きていれば100歳をゆうに超えている両親は、共に92歳で亡くなった。
しかし、正直、私にとって、両親は死んではおらず、どこかでずっと生きている感覚のままだ。
私が死ぬまで、あるいは無感覚になるまで、それは続く。
また、自分には墓は無用で、祀って貰う必要はまったくない。
散骨でも、流骨でも構わない。

過去を懐かしみ振り返るよりも、これからの、明日・将来を考える方を好む。
だがそれは、すべての過去を否定するものではなく、生かすべき過去の事実は、常識・良識として、明日・未来に生かしていくのだ。

非核、不戦は、日本と日本人の良識、コモンセンス


団塊の世代最後の学年に属し、戦争を知らない私だが、広島と長崎の原爆投下の日と終戦記念日だけは、しっかり記憶にある。
小さい子供のときにラジオやテレビで報じら見聞きしたそれらのニュースや、小学校の歴史の教科書で読んだ体験が、刷り込まれている。

でもそれは、右寄りの人たちが、戦前の国と国家体制を復古・懐古の対象としてこの8月を象徴的に活用するものとはまったく違う思いによるものだ。

あるのは、非核と不戦への思いである。
原爆や戦争を体験した人びとが、高齢で、我々よりも先に彼の国に行くのはやむをえないことだ。
そのことから、それらの体験を語り継ぐ人が次第にいなくなり、風化することを危ぶむ声も、都度伝えられる。
しかし、その時代を生きていない世代であっても、語り継ぐ声を聞くことがなくても、その悲惨さや、これからの時代に絶対にあってはならないことということぐらいは、直感的に、理性的に、そして知性・智慧として理解できる。
そして、その歴史・記録と誓いを継承していくべきことも十分理解している。

それが、日本人の共通の良識、コモンセンスであるべきだ。
それは、日本が唯一の被爆国であり、かの悲惨な戦争で、他国と自国の多くの命を奪い、奪われ、悲惨と被害を蒙らせ、蒙った当事国であり、その当事者及びその後継世代であることで、十分な根拠・要因となる。


安倍晋三の正体


コロナで国政の意識と行動の稚拙さを、多くの国民が体験し、国のあり方、政治のあり方について、何かしら多くを感じ、考えさせられた2020年の春、そして夏。
とりわけ、8月の原爆記念日、終戦記念日の安倍首相の言動に、国の領袖、国の良識の象徴として著しく適格性を欠くことをも、我々国民は認識した。
同じ内容の原爆記念日談話、終戦記念日談話、最近のマスコミ対応 etc.

安倍晋三とは一体何だったのか、何者だったのか。
この8月こそ、彼にとっては、意気軒昂に過ごし、憲法改正の必要性を声高に主張し、喧伝する季節であった。
しかし、コロナ禍、その政治と国民生活への向かい方に、彼の本質が、日を追って明らかにされてきたといえる。

彼は、彼の祖先の思いをひたすら継承し、唯一憲法改正のみを政治家としての自身そして祖先の目標・目的としてやってきただけなのだ。
他の政治ごとは、パフォーマンス宜しく、素人受け・玄人受けを狙い、手柄とすべきところへの嗅覚は流石であった。
しかし、世事に疎く、真に国民を思っての国の政治・行政の最高責任者としての自覚と責任、そして良識は、言語不明瞭・意味不明の言葉の羅列と熱意・誠意を欠いた姿勢・態度とともに、もう期待してはいけないことを、我々は知るに及んでいる。

憲法改正という夢をまとっていた人間が、自らの手でそれを果たすことが不可能と感じ取った時、他の大事に対する責任も熱意もフェードアウトし始め、抜け殻のようになりつつある。
蝉の短命さ、摂理としての潔さに比べれば、なんと時間とコストが費消されたことだろう。

しかし、だれかが、その大事を大事にし、我々ももちろん共に、それらに取り組み続けなければいけない。


憲法改正の最優先課題は「第四章国会」の改正

夏が過ぎ、秋がやって来る。
その頃に、内閣改造だ、もしかしたら衆議院解散・選挙だ、などと馬鹿なことを政治家が流布し、煽り、マスコミが付和雷同する。
コロナなど山積する政治行政課題があり、野党が要求している臨時国会の開催にも応えない内閣と与党。

ろくにしっかり政治もやらないうちに、またぞろの内閣改造。
そしてさすがに今回はやらない、やれないだろう解散総選挙。

憲法改正は、こうした馬鹿げた政治を好き放題させている、憲法第四章の国会条項においてこそ、最優先で行なうべきだ。

(参考)
◆ 憲法改正の最優先課題は、第四章国会:憲法改革の新視点-1
一院制導入で憲法第四章国会の改正を:憲法改革の新視点-2


異常が常態化する時代と社会に備える

現実的に、<憲法第四章国会>が改正されることなど、果たして自分が生きているときに実現するか。
多分、不可能だ。
だが、それが一つの社会経済システム改革に不可欠であることの合意形成ができればと期待したい。

しかし、優先すべきは、それ自体当然簡単なものではないが、新型コロナウイルス感染パンデミックや、「何十年に一度の」と形容された大規模自然災害が毎年のように発生し、私たちの生活・生命さえも脅かす事態に、どう備えるか、発生時にはどう対応するか。

この課題に、政治・行政が、国民と共に、最優先で取り組む必要がある。
そのためには、恐らく、これまでの政治・行政や社会経済システムを根本的に見直す必要があるだろう。
時間と膨大なコストがかかる。
一世代では実現はムリで、世代間継承を必須とする取り組みとなる。

そうした機運が、未だに政治や行政の領域から起きてこない。
マスコミも、煽るくらいに特集を組み、政治行政に影響を与えるキャンペーンを打つ存在であってほしいが、御用化したものには期待すべくもないのだろうか。

何より、政党・政治家がそうした危機感・問題意識を持つべきなのだが、いつもと変わらずお仕事自粛を心がけているらしく、それとは関係ないが、閣僚4人が、靖国に参拝に行ったりもしている。
暇過ぎる。


8月に入ったばかりの2日に、
新型コロナパンデミック第二波からも考えるべき新・社会経済システム構築
と題して、国会議員、各政党、そして官僚に考えてもらいたい課題を提起した。
以下の課題だ。

・内需で維持できる国内社会経済システム構築
・日常生活必需品・サービスの自給自足体制創り10カ年計画
・デジタル社会強靭化10年計画と国土強靭化10年計画への取り組み
・財政問題への抜本的取り組み:赤字国債に頼らない国家財政システム構築
・ベーシックインカム制導入の本格的議論へ


合流だ、分党だ、とまたデジャヴュかと思ってしまう動きもあり、政治勢力として数を頼むのも分からないではない。
だが、結局、実現可能で、将来への安心を提供し、夢や目標をもつことができ、それが現実になる生き方・働き方をイメージできる政策や法案を国民に提示できるか、だ。

いくつかの矛盾や相違はあって当然のことだ。
それを前提として民主主義は存在するのだから、その課題を克服し、めざす目標・目的に到達させるのが、プロフェッショナルとしての政治家であり官僚なのだ。
真に、「ジョブ型」のパブリックサーヴァントの責務なのだ。

酷暑にあっても、コロナ禍にあっても、常態としてその仕事・役割に取り組もう。
もちろん、すべての国民も共に、自分のできる範囲で。


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