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「「新しい資本主義」論の軽さ」と語る日経の新しくない主張の薄さ

 2021/11/17 日経<中外時報>で、小竹洋之上級論説委員による
◆「新しい資本主義」論の軽さ
と題した小文を掲載。
 その論述について、感じたところを、問答形式で述べてみたい。

具体性がない、薄い主張・反対意見展開の「論説」の重さはイカほど?


 以下、全文を、順に細かく区分けして意見陳述していきます。

ドイツの歴史学者ユルゲン・コッカ氏が自著「資本主義の歴史」にこう記している。
「資本主義は、イノベーションと成長の原動力として、しかしまた危機と搾取、疎外の源泉として議論される」
今は前者の光より、後者の影に焦点が当たる時代だ。グローバル化やデジタル化の副作用、リーマン・ショックの後遺症、そしてコロナ禍の痛みが重なり、資本主義のあり方が問い直されている。


 資本主義の在り方を議論することは、今に始まったものではなく、延々と続けられてきている。
現在は、資本と富の寡占化・集中、格差の拡大が昂じたことによる「行き過ぎた資本主義」がグローバル社会における共通命題になっているわけだ。

この国も例外ではない。米経済学者のエマニュエル・サエズ氏らによると、日本の上位1%の富裕層が稼ぐ所得の割合は、2019年時点で全体の13%強。米国の19%弱には及ばないが、ドイツや英国の13%弱をやや上回る。


 こういう言い回しは、もうそろそろ見飽きた。
 そのことにどれ程の意味があるのか。
 他国と比較すること、比率・シェアを元に論ずることに。

市場の機能を尊ぶ新自由主義の弊害を直視し、国家の介入で富の偏在を正そうという岸田文雄首相の意気込みはわかる。だが成長と分配の好循環を目指す「新しい資本主義」の看板は、あまりにも軽いと言わざるを得ない。


 「意気込み」と言ったが、それが自民党総裁、内閣総理大臣の意志として示されたことは、大いに評価されてよいだろう。
 その意識・認識なくして何も始まらないのだから。
 掲げた看板が重いか、軽いかは、これからの取り組みに懸かっている。
 現段階で、軽いと断じる者として思う、軽くない資本主義、重い資本主義とは一体どういうものを指しているのか、論説委員氏の主張を見ることにしよう。

少数の強者が所得も資産も握り、多数の弱者を置き去りにする現状を、米経済学者のブランコ・ミラノビッチ氏は「ホモプルーティア(同じ人間が抱える富)」と評した。一部の富裕層や大企業が政治と市場の力によって利潤を搾取するさまは「レンティア資本主義」とも呼ばれる。


 「誰かがこう言った」式の例を並べることにも、そう意義・意味があることとは思えない。
 論じる者自身が、自分の言葉でどう考え、どう表現するか、だ。
 加えて、筆者自身が「搾取」という言葉とその利用を適切と考えているのか、ただ単に比喩的に用いているものなのか、こういう引用の仕方は、ある意味、曖昧で、卑怯なやり方と思う。


税制や社会保障などの抜本改革を封印し、一時的な現金給付や賃上げ促進の政策減税といった小手先の分配戦略に走っても、複雑さを増す資本主義の病巣にメスが入るとは思えない。株主第一主義の修正に動く企業との連携も念頭に置き、もっと骨太のビジョンを示すべきだろう。


 その骨太のビジョンとやら言うものを聞こうじゃないか。
 そもそも「骨太の」という言い回しも随分使い回されてきたが、その実態・リアルとはどういうものか、社会経済的に、そして政治的にも、これまで合意も同意も形成されてきたとは思えない。
 まして日経紙がそれと認めうるものを提案してきたとも思えない。

 「小手先の分配戦略」という言い回しは一面では正しい。
 だが、それは実は「戦略」と呼べる代物ではなく、せいぜいお為ごかしの「戦術」的バラマキでしかない。
 これを私は「一過性」のものと読んでいる。
 要は、効果には持続性がなく、何かしらの基盤形成がなされ継続的にその効果が維持され、一つの社会経済システムになりうるかどうかが、お金の使われ方の課題である。

そもそも数十兆円規模の経済対策が必要なのか。日本の家計には、1~3月期時点で36兆円の超過貯蓄があった。行動制限の緩和で取り崩しが始まり、4~6月期時点で22兆円の需要不足の一部を埋める効果が期待される。
コロナ禍で困窮する弱者を支えるのは当然である。しかし通常の経済社会活動に戻り始めた世帯に、現金給付や旅行・飲食補助を広く実施するのが賢明とは言えまい。


 ここで、例によって、超過貯蓄額や、需要不足を満たす想定額などを持ち出すのも、新しくない議論だ。
 いわゆるマクロの見方で終始する方法は、一見正しく見えるが、問題を根本的に改善・解決する手段、アプローチにはなりえないだろう。
 (断定はできないし、する気もないが。)

国際通貨基金(IMF)によると、日本のコロナ下の財政出動は20年の国内総生産(GDP)の17%弱に相当する。主要7カ国(G7)では米国の25%強、英国の19%強に次ぐ3番目の水準だ。


 この主張も、先と同様、新しくない議論である。
 米英と比較することにどれ程の意味があるのだろうか。
 それでことの本質に行き着き、根本的な「骨太の」提案が導き出されるというのだろうか。

一方、実質成長率の予測は21年が2.4%、22年が3.2%。いずれもG7では最も低い。21年は1~3月期と7~9月期の2度もマイナス成長を記録するありさまである。「賢い支出」に徹するのを怠り、財政出動の規模ばかり膨らませてきた失政を、繰り返してほしくはない。


 この成長及び成長率をターゲットにした議論も、紋切り型の、単なる批判の定型文として垂れ流され続けている。
 そうした批判や議論から、何か特定・特別の有意義な方法や結論が導き出されたこともないだろう。
 なにをもって「賢い」「賢くない」の判定を行うのかも問題だ。


世界を見渡せば、イノベーションと成長の源泉にも衰えが感じられる。国際決済銀行(BIS)による先進14カ国の分析では、収益力が弱く市場の評価も低い「ゾンビ企業」の割合は、1980年代半ばの4%から2017年には15%まで上昇していた。資本主義のダイナミズムが失われている証拠だろう。


 そう言うのはたやすいが、それが一体だれの責任と特定できるだろう。
 仮に特定できたところで、それでどうしようというのか。
 言うほどに「イノベーション」や「成長」が簡単なものではあるまい。

上場企業の設立年をみると、日本のピークはソニーやホンダが産声を上げた1945~54年、米国は旧フェイスブック(現メタ)やネットフリックスが生まれた95~2004年だ。首相が「終戦直後に続く第2の起業ブーム」を目指す理由である。


 そうした歴史論に持ち込んでも、今、即何かが変わる、変えられるというものでもあるまい。

「ショックや危機、破壊的な反動の後には統合加速の時代が続いた」。コロナ後の世界が向き合うのはグローバル化の終結や減速どころか復活だと、英歴史学者のハロルド・ジェームズ氏は説く。


 また外国人学者の言葉の引用だ。
 同じようなことは多くの人々が言っているだろうし、認識もしているだろう。
 ハロルド・ジェームズ氏のその言葉が、グローバル社会に影響を及ぼし、なにかしらのムーブメントを引き起こすことになるわけではあるまい、

その波をガードを固めてやりすごすだけなのか。日本でも新自由主義への風当たりは強いが、むしろ足りないのは競争や成長ではないか。首相は起業の促進や人材への投資につながる施策を深掘りし、産業の新陳代謝や労働者の生産性を高めてほしい。例えば過剰な現金給付や旅行・飲食補助を撤回し、起業家を手厚く支援してもいい。


 「起業の促進や人材への投資に繋がる施策の深堀り」。
 そうした課題への政府の関わり方は、結局補助金政策、投資支援政策である。
 またそうした課題をこなしていけるだけの情報を政府と官庁が入手できているのかが問題である。
 そして、競争や成長に現実的に取り組み、実践・実行するのは企業・民間だ。

 「産業の新陳代謝や労働者の生産性を高める」。
 日経得意の「生産性向上」提案だ、十把一絡げの。
 これも、業種・業務プロセスによって大きな違いが厳然としてあり、一言で「生産性向上」をすべての業種・職種、零細・中小・大企業に要求するのも実は無責任なことだ。

「競争」とは勉強や進歩の母なのである――。日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一の語録「論語と算盤」の一節は、今も変わらぬ真理だ。改革も競争もない分配国家でいいはずがない。

岸田首相の「新しい資本主義」への想いを忖度する


 そのレベルのことは岸田首相も当然分かってのことで、何も日経紙に言われるようなことでもあるまい。
 「改革も競争もない分配」などとも言ってはおらず、「成長と分配」と当初から言っている。
 その「成長」が、方法を含め具体的に描けないことを自覚して、「新しい資本主義」という、曖昧な、抽象的な概念を持ち出して、なんとか見出していきたいと思っているのではないか。

 だから即刻種々の会議等組織を設置し、得意の「聞く力」を用いて、多くの識者の意見を聞き出せると期待したのだろう。
 しかし、御用委員化は免れ得ないし、取り巻きの官僚岩盤も、政策的なイノベーションとは逆方向に働くことは想像に難くない。

 私は、当初、岸田首相には何らかの目算、具体的な戦略もあったのではないかと思っていたが、どうやらそれは「分配」の方の話に限ってのことだったのだろう。
 その「分配」政策が、まずは富裕層への課税や、利益を内部留保する余力のある企業の賃上げ要請で示されたわけだ。
 その原始的な分配で、まずは需要を創出し、成長を呼び込むといういじらしい、チマチマした政策程度は描いていたわけだ。
 そこ止まりを批判するのは簡単だが、政治の世界では、それにあとはバラマキを加えること程度しか、現状はムリということではないか。
 政府と企業との関係でいうならば、結局、各業界ごとの利益誘導による補助金頼みの既得権関係に根ざした政策の風呂敷を広げ、そこでのもう一つの見慣れた「分配」政策を繰り返す程度のことだ。
 これが票に直結しているという相互の利益の一致が、ある意味、競争やイノベーションを政府も企業も蔑ろにしている影の原因といえるだろう。

日経が、批判ばかりしている野党のようにならないように


 こんな私なりの偏った見方があるのだが、はてさて日経は、どんな競争が必要というのか、どこでどんな競争を、だれが・どこが、どのように展開すべきと考えるか。
 グローバル社会においてもその存在が認められているはずの日経ならば、総力を挙げてその具体策を、「これが骨太のそれ」として提示・提案して欲しいものだ。
 果たして、岸田首相が、そして最も競争とイノベーションに率先して取り組むべき(広告主でもある)大企業が喜び、その提案を受け止めて取り組んでくれるような提案ができるかどうか。

 それが日経の「喫緊の課題」と考え、その言動に「片時も目を離さずに注目すべき」と思っているのであります。

 では、こうして今回のように日経批判を行なった当サイトはどうなのか?
 以下の追記事項で確認頂ければと考えての投稿でした。


参考:当サイト提起の、4区分の2050年長期ビジョン

 当サイトで投稿する記事のテーマの大半は、以下の4領域での2050年に向けての長期ビジョン及び重点個別政策と関係しています。

国土・資源政策 2050年長期ビジョン及び長期重点戦略課題
社会政策 2050年長期ビジョン及び長期重点戦略課題
経済政策 2050年長期ビジョン及び長期重点戦略課題
国政政策 2050年長期ビジョン及び長期重点戦略課題

 従い、そこでの主張・提案などの多くは、上記の体系における政策の具体策として位置付けられ、肉付けされるものとなります。

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