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包摂すべきリベラル、が陥る排除の論理:『リベ敵』から考える-4

リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方-4

「倉持麟太郎氏著『リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方」と題したシリーズです。

◆第1回:『リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方-1
◆ 第2回:政治的なるものと日常生活における個人と社会:『リベ敵』から考える-2
◆ 第3回:生身の弱い個人とそのアイデンティティを救えないリベラルの弱み:「リベ敵」から考える-3
と進めてきていますが、1回目はプロローグから、2回目・3回目は、<第1章 君達は「アイデンティティ」を知っているか>を対象としました。

今回は、<第2章 包摂から排除へと屈折するリベラル>を対象として、2回に分けてリベラルの現状問題を取り上げます。


多様性と個人、当事者と非当事者がもたらす排除の原理

我が国においては、政権与党の惰性による一強体制を許している原因がリベラルの弱体化である。
健全なオルタナティブを育むためには、リベラルのモデルチェンジが目下の急務である。逆説的だが、多様性を冠するリベラルこそ、特有の「潔癖性」を有しており、自身の立場の正しさを純化しがちなところがある。
このリベラルの「潔癖性」も、アイデンティティ・リベラリズムに親和的という落とし穴があったかもしれない。

この提起から、第2章が始まっています。
この純化と潔癖性が、上から目線に繋がり、多様性を主張しつつ、他を排除することに繋がっているわけです。

個を認めるアイデンティティを一つの要素でグループ化する。
そのグループ一つひとつは、多様性の一つの要素なのですが、一つのグループアイデンティティ内に限れば、自己の利害がらみで意識は共有できる。
しかし他との共存を意識せず、あるいは排除とまではいかなくても、そのグループ自体の共同化や組織化の基盤が脆弱である場合には、小さいながらも持ちうる「力」にさえなりえない。

こんな、アイデンティティ・クライシスが、重層化・拡大・拡散している状況と言えるでしょうか。
本来、この状況を包摂することを立ち位置としたリベラルが、あるべきなのですが、その理念から、より遠ざかるかの様相さえ呈していることに、現代日本の情けない実態があると感じています。

一つの例えですが、倉持氏はこう表現しています。

本来、「民主主義」や「人間の尊厳」そして「個人」という概念は、もともと誰でも入れる市民会館や公園、広場のように、多様な人々を包摂する空間としてのプロジェクトだった。しかし、「個人」概念にふるい落とされた人々によるアイデンティティの政治は、この空間を会員制のバーに変えてしまった。会員資格は、「非正規で働く子育て中の女性」であるとか「戦争を経験し集団的自衛権に反対する護憲派」であるとか、細分化された個別の「体験」「経験」の共有である。それらを共有していない者は、入場すら許されない。


わかりやすい例えですね。
こうした観念が、「ポリティカル・コレクトネス」概念と結びつき、強力に排他性を強めた妄信的な個とその塊としてのグループの形成と行動をもたらす要因ともなると指摘し、こう続けます。

傷つけられるべきではない私(=当事者)の権利や自由、ひいては尊厳が少しでも傷つけられたなら、脊髄反射的に抗議・攻撃する。そこには合意を醸成するための理性的な話し合いのプロセスがない。本来普遍的であるはずの尊厳が、同じような体験をした(当事者)にしか共有できないカスタマイズされた尊厳になってしまう。

これが「分断」の要因であり、状況そのものであることは言うまでもないことです。「尊厳」などという言葉など決して持ち合わせていないことも明白ですが。
そこで筆者は、こう言います。

我々がすべきは、生身の個人の「体験」vsリベラルな「個人」の調停である。

こういう内容を反芻しながら、私は、枝野氏や蓮舫氏にそれができるだろうか、と考えてしまいます。(できないよな~)
倉持氏のもっと分かりやすい、切実な、笑えない例え話をもう一つ紹介させてください。

たとえば野党第一党である立憲民主党は、「性暴力被害者のための刑法改正」「保育士の処遇改善」「選択夫婦別姓の実現」「給付型奨学金の拡充」など個別の「当事者」に関わる細分化された政策を列挙するが、本来政党が担うべき調合的政策機能を果たしている気配はない。この政党に政権を任せた場合にどのような国家像を描いてくれるのかというビジョンが伝わってこない。

言うならば、前内閣のように、やっている感、主張している感のメニューはあれこれあるが、その根源となる共通普遍の方針・方向性が示されていないのです。ゆえに、結局、自民党政権の総合的・俯瞰的政策とさほど変わらないのです。
と言うか、政権を持っていないがゆえに、犬の遠吠えにもならないのです。


立憲民主党に欠落するナショナル・アイデンティティの課題と必要性

こうした野党の致命的な欠点を克服・解消するために必要なのは、ナショナル・アイデンティティであると倉持氏は言います。
「ナショナル・アイデンティティ」と先ず聞くと、右翼的な響きを感じてしまうのが難点ですが、少し説明した上で、それがなぜ必要かについて、他者の意見を引用して、以下の6つの理由を挙げています。

1.国民の物理的安全
2.政府及び公的権力の質の維持
3.経済の持続可能な発展
4.広範囲の「信頼」の醸成による社会の共通課題への理性的な討議
5.経済格差を是正するセーフティネットの維持
6.自由民主主義そのものを可能に

分かりやすい事項・要素です。

先だっての立憲民主党と国民民主党の合流物別れの原因が、前者が方針とする原発ゼロ政策が、原発事業を働き場とする労組員の職を奪うことになるため、その労組を基盤とする国民民主党がその政策を受け入れることはできないとしたことだったと言うことです。
もしかしたら火力発電事業の方だったかもしれませんが、そう変わりません。
自民党政権がようやく鮮明にした脱炭素政策に対して、野党は、同様に火力発電企業で働く人々が所属する労組の、仕事を失うからという反対を受けて、脱炭素政策に反対を唱えることになる。
そんなバカな話になってしまうのでしょうか。
このレベルのことで、野党がまとまることができないのだから、どっちもどっち。
国民からすれば、どっちらけ(白け)の話です。
ナショナル・アイデンティティを共有すべきという認識をもって、相互に一致する方向性が確認できればよいだけのこと。
すべてにおいて完全に一致すること、一致させる必要はないと考えた上で、異なる部分の調整をしっかりと課題化する合意・同意が形成されれば済むことです。

こうしたナショナル・アイデンティティを形成できないのは、結局、自分自身のアイデンティティさえしっかり確立できていない政治屋の集まりにすぎないから。
そう私は考えています。
この時に求められる個のアイデンティティの源泉は、理性と知性そして良識です。

多様性主義の意味とその硬直性・独善性

本来であればリベラルこそが、多様な我々が根底で連帯するために、相互理解の助けとなる包摂的なアイデンティティを必死で模索すべきだ。しかし、この国のリベラルは、その努力を放棄し、その空白に「多様性」というマジックワードをかぶせて隠蔽した。

同意します。

多様性、多様性と言うけれども、一人ひとりにとっては、選択肢が多種多様に存在するわけではなく、せいぜいで二者択一程度のことです。
出発点を自分に置けば、その自分を認識し、認めることが、他も認めることに繋がる。
その「他」が、多様にあるという普遍性を包摂する思いが起点です。
それが、私の考える多様性です。
従い、その多様性を種々分類して、違い・差異を設定することは、さほど建設的な営みとは思えないですし、思うべきでもないでしょう。
マーケティングか、問題提起への反論に利用される程度でしょう。



包摂した政策または活動として提起したい<平和と社会保障と民主主義を守る女性会議><女性主体政党>創設


現状のリベラルの再構築は、当分期待できそうもないと私は考えています。
しかし、これも、実現には相当の困難が伴いますが、少しは夢がある、希望を持てそうなものとして提案しているのが、女性の力です。
国会議員に女性が少ない状況をなんとか変えたい。
そういう思いからではなく、新しいリベラル勢力を形成するためには、女性が包摂的に集うことの方が現実的ではないか、そう考えるゆえです。

そしてナショナル・アイデンティを表現しつつ、一つの、しかし大きなグループを形成して頂きたい。
そう願って、以前以下のように提案しました。

「平和と社会保障と民主主義を守る女性会議」(仮称)創設のご提案(2020/9/24)


「平和と社会保障と民主主義を守る」女性会議、です。
それは、インターネット上でのコミュニケーションとグループ組織化から始めることでまずは十分と思っています。
課題は、言い出しっぺ役、リーダー役が存在すること。
既存の女性政治家ではないほうが良いと思っています。
ジャーナリスト、学者、さまざまなグループのリーダーが加わってくれることも期待したいのですが。

当面の活動には、コストがかかりません。
種々意見交換し、普遍的・共通性を見出しながら方向性と方法とを決めていけば良いでしょう。
そして、ある程度の全国的な基盤が整ってくれば、政党・会派の組織化に着手し、国会議員選挙への候補者立候補の段階に歩みを進める。
5年~10年計画くらいの取り組みを想定しておけばと思います。

その後これを踏まえて、提案したのが、以下です。

女性主体政党創設の夢:2030年自民党女性国会議員30%、20年後女性総理誕生に先駆けて(2020/9/30)

そして、その後、日本型ベーシックインカム生活基礎年金の理解と議論への参加を募るべく
日本型ベーシックインカム実現をめざすカウンター・デモクラシー・ミーティングを開設!
しています。
『リベ敵』にヒントを得ての行動です。
ご参加をお待ちしています。


新しいリベラルによる、望ましい社会創造のための理念アイデンティティ確立と実現活動のシナリオを

今回のまとめとして、倉持氏の次の言葉を用いたいと思います。

我々一人ひとりが「当事者」の「物語」を共有しつつ、その中で普遍化できる要素を抽出し対話する語り部にならなれければならない。「生ける経験(=体験)」を「共有できる経験」に解放するのだ。

理念のもとに市民が集うことができる包摂的なナショナル・アイデンティティを政治の側から、特にリベラルの側からこそ、提示する必要がある。

アイデンティティは後付けで作ることが出来るし、外から規定されたりもする。ということは、多様な我々が何らかの価値観を共有し、社会が抱える共通の課題に取り組んでいけるようなアイデンティティを再構築することも可能なはずである。

その課題・方法・方策として「平和と社会保障と民主主義を守る」理念は、古くて、こういう時代であるからこそ新しいと考えます。

私が提案するJBI日本型ベーシックインカム生活基礎年金制は、社会保障改革の軸としてのアイデンティティテーマとなり、国会改革は、民主主義を守るための一里塚でもあります。
平和は、言うまでもなく、非核宣言及び核兵器禁止条約批准、そして憲法9条改革阻止を意味します。

現状の似非リベラルには荷が重すぎるこれらの課題は、女性主体政党が実現し、一定数以上の国会議員を立法府に選出・輩出することで実現できる。
方法次第で、10年以内での実現の可能性があること、お感じになりませんか?

次回は、<第2章 包摂から排除へと屈折するリベラル>の2回目。
書名と同じ表現「リベラルの敵はリベラルにあり」という節を確認し、決意を強めることができればと考えています。

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