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保育・子育て、少子化・人口減少

少子化社会対策と少子化担当相を糾弾する

前回
「令和2年少子化社会対策白書」と86万ショックと出生率1.36の現実
と題して、7月31日に閣議決定された「少子化社会対策白書」の構成と基本データについて書き留めた。

先行して5月に閣議決定された「少子化社会対策大綱」を批判して、以下を既に投稿している。

◆ 出生率1.36、出生数90万人割れ、総人口減少率最大:少子化社会対策大綱は効き目なし(2020/6/11)
◆ 「2020年少子化社会対策大綱」批判-1:批判の後に向けて(2020/6/18)
◆ 「少子化社会対策大綱」批判-2:少子化社会対策基本法が無効施策の根源(2020/6/25)
◆ 「少子化社会対策大綱」批判-3:少子化の真因と究極の少子化対策BI(2020/7/13)
「少子化社会対策大綱」批判-4:安心して子どもを持つことができるBI、児童基礎年金支給を早期に(2020/7/28)

本来、昨年までの2015年策定の「大綱」の取り組み結果報告である、「白書」が先に公表され、今年を起点とする5年間の新たな「大綱」を公表するのが手順であろう。
だが、順序が逆だ。

そのことへの批判もあるが、当白書の内容そのものとこれまでの経緯・経過を考えると、批判を通り越して、この<少子化社会対策>を糾弾すべき思いが沸々としてくる。
前回と今回を、その前段とし、その後、白書で最も重視すべき事項について取り上げて、少子化の歯止めとすべき課題について、考えを進めていこうと考えている。


白書とは、少子化社会対策白書とは

まず初めに、白書とは何か、確認しておこう。
白書とは、政府の各省庁が、その所管とする行政活動の現状や対策・展望などを国民に知らせるための報告書、とある。

そして、概ね、法定白書・非法定白書・その他の白書の3種類に大別。
<法定白書>は、法律により国(行政府)に対して義務付けている国会への報告を白書として刊行したものをいう。
原則、閣議決定を経て国会に提出されるが、例外として人事院作成の年次報告は内閣と国会に同時に提出されるため閣議配布のみ行われる。

次の、<非法定白書>とは、法律に定めのない政府の白書類のうち、閣議了解を得ることとされているものだ。
これらは各省庁の名において編集し、その旨を前文中に明記するとともに閣議了解を得た後公表する。

だが、少子化社会対策白書は、少子化社会対策基本法第9条に「少子化の状況及び少子化に対処するために講じた施策の概況に関する報告書」と規定されている、非法定白書の一つである。

なお、この<少子化社会対策白書>は、全国の主要書店、政府刊行物センター等で購入でき、今期版は、令和2年8月末ごろに発売される。
Amazonでも以下で入手できる。
但し、これは、昨年版である。



白書になる<少子化社会対策>が、機能していない


公開することが目的・目標になった少子化対策白書。
作成する担当官僚・公務員にとっては、アウトプットがあれば達成感も味わうことができ、ある意味やりがいのある仕事だろう。

だが、最大の難点は、実際の少子化対策の成果が問われることがないことだ。
政策の遂行には拘らず、白書の制作に携わったことへの満足感・達成感には浴することができるわけだ。
白書製作というジョブ職だが、政策実現というジョブ職ではないとも言える。

しかし、対策の実行度・実現度が、彼らに問われることはない。
対策の結果の報告ではなく、対策をしたよ、という報告で終わる。
あるいは、社会には、まだこんな問題があるよ、という報告も兼ねている。

結果と責任については、白書化されず、白紙のまま、ということになる。
これを、何十年も続けてきたわけだ。
当然、過去担当した人は、無関係になって久しい。

そこから、失われた30年、ということになるわけだ。


日経紙による「少子化対策 失われた30年」


先日、日経で、山内菜穂子政治部次長名での「少子化対策 失われた30年」という記事を見た。

少子化社会対策に関する、こんな裏話が紹介されている。

今年7月17日に閣議決定された<経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)>。
その方針を検討する<経済財政諮問会議>において、少子化を主要テーマの一つとし、骨太の方針は少子化に特化する予定だった、
しかし、コロナ禍、直前にコロナに特化されることになり、少子化は「『新たな日常』の実現」という最終章の一部に追いやられてしまった。
事前に、「抜本的少子化対策の推進に向けて」と題した民間議員の提起を基に議論が行われる予定だったという。

まあ、「抜本的少子化対策の推進に向けて」の内容が重要性・重大性を強調するものであったら、簡単に無視されることはなかったと思うのだが。
もし、看過できない程重要なものならば、是非、それだけでも公にして欲しいし、すべきと思う。

そして、こうも言う。

日本の少子化対策の起点は30年前に遡る。
1990年、前年の出生率が調査開始以来最低となる「1.57ショック」が起きた。
その後、バブル経済が崩壊。政府は経済や高齢化問題に注力し、大胆な少子化対策を出せないまま時間が過ぎた。

確かにそういう面もあるが、対策を出せないまま、ではなく、出さないまま、が正しい。
あるいは、このところは、出したつもりではいるが、有効な手立ては何一つ組まれていなかった、ということだ。
今日に至るまでのその間が「失われた30年」ということになる。


コロナが少子化を加速する

そのコロナだが、それにより今年はさらに少子化が加速するに違いない。
コロナで学校や保育所が休校・休園になった。
そのため、子ども達は、保育・教育の機会を奪われた。
ネットだけで、保育所や学校生活の疑似体験しかできない子ども達の明日は、決して明るくない。

孤独な育児を強いられた親・家庭も増えて当然である。
子供の将来への不安と、自身の子育てへの不安、在宅勤務を含む、仕事との両立への不安も増幅する。
もうひとり子どもを持ちたいという思いもしぼむ。

大綱にも、白書にも盛り込まれた対策・政策は、コロナ禍に対して、一層の無力感を抱かせるものとなるだろう。

働くこと、生活することなど普通に行われてきたことが保証されない社会状況が、いつまで続くか。
だから、結婚することも、子どもを持つことも、困難な現実から一層遠ざかる。

一体、何を新しい生活様式とし、何を新常態とすべきか、それら自体、まだ分からず、決まらず、見通せず、なのだ。

これが、一時のこと、一時的なことと断定できるのなら、希望をもって次の世代・時代を考える気持ちの余裕も生まれるだろうが、その楽観には、まだ行く着く目処が立たない。


少子化担当相の不実と少子化対策の幻想

日経山内政治部次長は、こういう話も紹介する。

自民党は、6月に少子化問題のプロジェクトチームを設置。
そこで、「この30年は一体、何だったのか」と厳しく論じられたという。
座長の松山政司元少子化担当相曰く。
「政府の施策は必ずしも成果をあげていない。この現実を直視し、政治が前に進めたい。」

では、これまでどうしていたのか。
担当相だった本人が言っているわけだから、自民党が変えることができるはずはない。
できるのだったら、とうの昔にやっているし、既にある程度の成果が出ていてもよい。。

そのスタンスは、少子化担当相が拠って立つ足元の不安定さに見て取れる。

もともと内閣府の中の特命担当大臣の一つとして設置された少子化担当相。
設置は、2007年8月に遡る。
閣府特命担当大臣の少子化対策担当相として任命されたが、その後は、<少子化・男女共同参画担当>と兼任形式に。
そして、現在は、昨年9月の第4次安倍第2次改造内閣において、なんと
一億総活躍担当、領土問題担当 内閣府特命担当大臣 が(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策)なども兼任として担当する形だ。
真剣に仕事をしてきたとは思えない。
この間、現在の野党が政権を担っていた時期も含まれる。
これが、バカバカしさが極限状態にある政治・行政の実態である。

そして、この13年間の歴代少子化担当相の数は、なんと21人。
1人平均、8ヶ月も稼働していないのだ。
不実極まりないこの国の政治なのだ。

こうした体制における少子化対策など、幻想的でさえある。

少子化対策関係予算に見る本気度の欠落


もう一つ、本気度が感じられない証拠を挙げておこう。
以下の表は、ここ3年間の<少子化対策関係予算>だ。
この程度の予算で、一体何ができるというのだろう。

常に財政状況を考えて行なう少子化社会対策は、この程度の予算で、成果を挙げうると本気で考えているとすれば、何もしないで、担当相も関係官僚・公務員も他の仕事をしてくれたほうが、貢献できるというものだ。


もう一つ、少子化問題が語られる時、必ず引き合いに出されるのが、以下の、海外各国との<家族関係社会支出の対GDP比>の比較だ。

言うまでもなく、恥ずかしいくらい、ではなく、恥ずべき低さを誇るデータである。
この実態を政府は承知しているのだ。
それを長年放置している。
本気など期待すること自体ムダということだ。


現状の少子化社会対策の本質と目指すべき少子化対策の本質

先の日経山内政治部次長の言をもう一つ紹介しよう。

孤独な子育て、子育てと仕事の両立の難しさ、不安定な雇用。
コロナ禍で露呈した不安は、政府のこれまでの少子化対策の根本的な弱点と重なる。
少子化は、政治が子育て世代やこれから家族をつくる若い世代の不安を解消できなかった結果でもある。
危機に左右されることなく、失われた30年を見つめ直す作業こそが「86万ショック」からの第一歩となる。

本気でそう考えているのか。
ならば甘すぎる。
見つめ直し方が常にいい加減だったわけで、今更見つめ直しても抜本的な改革策を講じなければ、変わることはない。
86万ショックからの第一歩目が、30年の見つめ直しから始めなければならないとすれば、それは前進ではなく、後退の繰り返し・継続にしか繋がらないだろう。

ならば、山内氏および日経紙が、その具体的な対策を提案提起することの方が、第一歩となるはずだ。

実は、大綱や白書で対策とされたほとんどは、保育・育児行政の問題点を改善・解決するための取り組みである。
保活も、待機児童・学童保育問題も、育児支援や育児休業制度などと関する仕事と育児の両立問題もだ。

決して少子化を抑止し、出生率の向上、出生数の増加を実現することを直接の目的とするものではない。
少子化した社会においてさえ起きている、保育システム・保育行政の質の低さ、不足等を解消・克服するための対策だ。

故に、それらは、少子化対策ではなく、少子化した社会における、少子化しているにも拘らず存在する、出産・保育・育児・子育て、格差・貧困等の諸問題に関する対策なのだ。

「社会」とすると、関係する行政領域をすべてカバーすることになり、肝心の少子化をくい止める大きな力となるであろう、婚姻率の向上・婚姻数の増加、初婚年齢の引き下げ、多子化等をもたらす真の少子化対策に、いつまでたっても到達しない。

故に本来「少子化社会対策白書」ではなく「少子化対策白書」と、社会を外した白書名とするのが望ましい。
<社会>が入ると、他人事、社会のせい、社会の責任というニュアンスになる。

社会に起因する問題ではなく、こうした社会を形成させしめている政治・行政に原因があり、責任があるのだ。

と、批判というよりも糾弾すべきと考える、国の、政治の、行政の少子化対策。


しかし、その白書には、十分価値がある情報が盛り込まれている。
次回から(明日ではありませんが)、以下のようなデータ類を参考にしながら、決め手となるであろう、決め手とすべきであろう少子化対策について、考えていきたい。

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