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8月梅雨明け、エコ、エゴ、コロナ

Note, 生き方・生活

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コロナのエゴ対ヒトのエゴ、エコのコロナ対エゴ社会のヒト


重く、暗かった、非・常態の7月が過ぎ、ここ東海地方も梅雨明け宣言とともに8月を迎えた。

今年は、7月という夏の時期が、すっぽりと抜けてしまい、まったく別の1カ月が過ぎ去った過去としてカウントされただけのような気がする。

遅い梅雨明けだが、この7月を思うと、「明け」という明るい文字を見るだけで気分も明るくなり、元気が出る。

コロナ禍や集中豪雨にもたらされた甚大な被害により、厳しい日常の暮らしを強いられ続けているヒトと社会。

それとは無関係に、いつも川辺りや道端、空き地の雑草は、人の気持ち、人の生活にかまわず、毎年のように繁茂し、多くの人手を駆り出す。
毎日、どこかしこで、草刈り機の音が鳴り響いている。

梅雨明け宣言されたとは言え、いつもの夏型の気圧配置ではない、変な形が気になる。


ミニトマト、キュウリ、ゴーヤ。コンパクト菜園のエコ野菜は強かった


わが家のプランターによるミニ菜園のミニトマトも、ゴーヤも、キュウリも、7月は元気だった。
ミニトマト、アイコは、6月7月2月間で1,300個以上収穫し、昨年の記録を更新。
今日も朝食・昼食時に、口に放り込み、パリッとした皮をバリバリ言わせて食べた。
キュウリは、昨年ほどの収穫本数には満たなかったが、アイコと並んで食卓を彩ってくれ、最後の収穫として調理されたものが、今日の朝食プレートに乗り、役割を終えた。
ゴーヤは、いつものように、2階のベランダのよしずにまで伸び、自分のペースで実をつけ続けている。

毎日のように相当の降雨があったが、それも、わが家のコンパクト菜園の野菜には恵みの雨だったかのようだ。
エコ系の営みとして。

この世界を見る限りでは、恵みとしてのエコは、確かに存在し、人に優しさと喜びをもたらしてくれる。


人によるエゴがもたらす、地球温暖化とエコ破壊


しかし、地球温暖化のためとされる異常気象は、人間のエゴが招いたもののはずだ。
望ましい環境、エコが、ヒトのエゴがもとで、大規模自然災害という厄災・恐怖を、想定外のはずのサイクルを日常に組み込んで、ヒトの社会にもたらしてしまう。

そうした中でのコロナ。
もともと新型コロナウイルスと名がついたということは、旧型コロナウイルスがあったから。
緊急事態宣言が解除された後の、第二波という感染拡大の規模と速さは、新型コロナとはまた別の種類の、変異したウイルスではないかと思わせるのだが、実際の所どうなのだろう。

コロナはコロナで、生き延びるために伝染し続けようとするのだろうが、これも一つのエコ系、などとはとてもとても受け入れるわけにはいかない。
なんとしても、ヒトの力で、悪疫の根源のウイルスを根絶するか、無力化するワクチンを早期に開発し、安価に、簡単に投与できるようにするしかないようだ。

ただ、コロナの思い通りにさせぬように、ヒト社会のために、人それぞれのエゴを戒める必要があることを、もう一度しっかり認識し、行動を自制する必要がある。

先に、「コロナのエゴ対ヒトのエゴ」、「エコのコロナ対エゴ社会のヒト」という対立構図をイメージしたのはそのためだ。


2050society.com のエコ系拡張の準備段階としての8月・9月に

4月に当サイトを開設し、ほぼ4カ月経過した。
なんとか、1日1投稿は、実践・継続できた。

しかし、まだ、かすかな「点」を、茫漠としたエコ系のどこかに、思いつきのように、偶然と、漫然とプロットしているに過ぎない。

そろそろ、点にしか見えない段階から、「何か文字が書いてあるようだ」くらいの認知が得られるような段階に歩を進める必要がある。

そのために有効で手っ取り早い方法が、例えエゴ的手法であっても思いつけばいいのだが、昔から苦手と来ている。
地道に、コツコツ。
エコにはいいが、エゴには向かぬ。

拡大しすぎて、良くも悪くも無限の力を備えてしまったSNS。
それは、共感と分断双方をもたらす。
そう表現した一文を、昨日見た。

共感も、分断も、実は、エコとエゴ、紙一重の違いがもたらすことのような気がする。

新型コロナウィルス感染症拡大対策が課題になってから、既に半年が経過した。
世界各国で感染拡大が続く中であっても緊急事態宣言を解除した日本。
ウイズコロナをすぐにでも不要として、アフターコロナにテーマを移そうと考えていた中で、第一波の規模をはるかに上回る、第二波の襲来・招来である。

SNSがもたらす分断とはまた異質な分断に変異させ、拡大させるリスクがあるコロナ。
分断のすぐ隣には、気が付かぬかもしれないが、実は共感に繋がる、共通体験や共通認識があるはずだ。

望ましい2050年の社会の創造。
書いても見ても、理想が過ぎて、現実性が欠落する弱さが常に付きまとう。

エゴ系社会ではなく、エコ系社会を、コロナ禍や自然災害の体験を通して、創造していく。
ヒトが拠って立つことができるのは、エコ体系の保護・防御があってこそのこと。
まずその共通認識をもつべく、情報コミュニケーション活動を拡大する。
そして、共通の目標を持ち、その実現に取り組むための社会経済活動を始め、継続するための政治・行政体制を形成する。

そのエコ系形成に寄与できるよう、2050society.com の歩みのフェーズを一段高めることができる8月、そして9月に。
そう思う。

これもエコ系。今日近くの伊賀川で見たカワセミ。
先日の豪雨で引っかかったゴミの横に。

今日の朝食プレート。ミニトマト、ゴーヤ、キュウリが自家製エコ野菜として参加



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