2019年簡易生命表に見る、少子高齢化・人口減少社会:平均寿命女性87.45歳、男性81.41歳

介護制度、高齢化社会

前回、8月5日に総務省から発表された、人口動態調査結果をベースに、人口減少国の道をひた走る日本の問題を以下で確認した。

2020年人口動態調査に見る、少子高齢化・人口減少社会:日本の人口1億2427万1318人

今回は、発表された時期は前後するが、7月31日に厚生労働省から発表された「簡易生命表」をベースに、その続編として、<少子高齢化・人口減少社会>について再度確認したい。

延び続ける日本人の平均寿命、女性87.45歳、男性81.41歳の意味


発表された簡易生命表は、2019年のデータである。
男女とも、8年連続で延び続けており、女性は5年連続世界2位、男性は同3年連続3位。
世界何位ということに格別のものを感じはしないが、いつまで延び続けるのか、獏とした思いはある。
決して長生きすることが良いこととは、私は思っていないので、こうしたデータが発表されるたびに、微妙な気持ちになる。

簡単に言うと、自分で自立した生活をしていけなくなったら、おさらばしたほうがいいだろうな、と思っているから。
そんなに生きて、どうするの?
という感じだ。

70歳の今、これからどう生きるの、という課題に種々考えながら日々を送っている。
が、何歳になったら、どう生きるの、という問いかけがあまり意味がなかったり、問いかけることよりも、生きていること自体にあまり意味や意義がなくなっているのでは、と思ったりもする。


平均余命が、今を生きる人に、現実とこれからを考えさせる


平均寿命は、その年、今回の場合は、2019年に生まれた0歳児が、平均して何歳まで生きられるかの予想値だ。

8人の孫の一番下が、昨年8月7日生まれなので、彼が何歳まで生きるかという平均値になる。
そう考えると、ちょっと身近なことのような感じられるが、とはいっても、80年以上後のことはイメージしようがない。
彼が20歳になる頃。
このくらいなら、どういう社会になっているといいな、と、想像し、あるいは願うレベルに捉えることができる。
もしかしたら、私自身、まだ生きているかもしれないし。

なので、自分の今後を考える上では、今何歳ならば、平均あと何年生きるか、という「平均余命」の方が、少しは現実のこととして考えるデータにはなる。

以下に、5歳刻みで現在の年齢の人が、あと何年平均的に生きることができるかの余命の一覧を転載した。


この表でいくと、今70歳の私があと平均何年生きることができるかとなると、15.96年。(正しくは、昨年70歳になっていれば、だが)
概ね16年で、平均的には、86歳まで生きるだろう、となる。

そう考えると、あと16年しかないないわけだ。
ゆっくりしていられない。
(なにをゆっくりしようというのか、わからないが。)
なにとなには、しっかり終えておき、あれとあれは、どうして・・・。
ちょっとスピードを上げなけれないけないかもしれない。

それぞれの世代・年代の人たちも、自分の平均余命をおおよそ把握してみる。
過去になってしまったことは致し方ないが、これからの余命におけるライフステージは、描いてみても、イメージしても良いだろう。

それに自分の身近な配偶者や子どもたちの人生もイメージしてみる。
年齢差は埋まることなく、加齢し、それぞれのライフスタイルで生きていく。
特に、これから結婚や出産・子育てなどのライフイベントを希望し、計画を立てて日々の生活に組み入れていくことは、大きな変化をもたらす。

「簡易生命表」と「国民生活基礎調査」で算出される健康寿命

平均寿命が延びるのはいいが、介護や医療の世話に頼って寿命が延びるのは、本人もあまり楽しくはない。
いろいろ費用がかかるし、社会的コストも増える。

なので、介護を受けたり、寝たきりになったりせずに生活できる「健康寿命」がより長くなるのが望ましい。
理想は、ピンピンコロリで、平均寿命と健康寿命が同じならば、ほとんど迷惑をかけずに、あの世に行ける。

「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」を「健康で生きられる期間」の定義とし、厚労省は、3年毎に「国民生活基礎調査」を3年毎に実施。
そのサイクルに合わせ、簡易生命表の結果を用いて、健康寿命を算定する。

最近のものとして公開されている2016年の健康寿命は、男性72.14年、女性74.79年。

厚労省の2019年データはまだ発表されていないが、ニッセイ基礎研究所村松容子氏のレポート
2019年健康寿命はさらに延伸~制限がある期間はやや短縮するも、加齢や健康上の問題があっても、制限なく日常生活を送ることができる社会を構築することが重要
に同氏の試算による、2019年健康寿命(予想)が掲載されていたので、参考に転載させて頂いた。

詳しくは、こちらで
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=65081&pno=1?site=nli


昨年の健康寿命予測値は、女性75.4歳、男性72.7歳。
これも平均値なので、個人差が大きいだろうから、あまり参考にはならない。
雰囲気的に知っておく、程度でいいと思う。

この健康寿命が、平均寿命により近づくことが望ましい、ということになる。
しかし、ふと思ったのだが、その年の健康寿命の算出には、その年の人びとの各世帯員の健康状況の調査を用いている。
一方平均寿命は、その年生まれの子どもの寿命である。
その2つの数値を比較するのは、適切ではないと思うのだが。

比較するとすれば、平均余命と現在の年齢を足した年齢と、健康年齢とであると思うのだが。
私の勘違いで、上記も加味した上で算出・算定しているのだろうとは思うけれど。

いずれにしても、健康などは、個人差が大きい。
平均ばかり気にするのもさほど意味があることとは思えない。

その健康寿命を意識しすぎて、しゃかりきになって運動するのもどうかと思う。
食事と運動に気をつけ、睡眠をしっかりとる、規則正しい生活を送るようにすればと思う。


介護保険制度と医療制度が、平均寿命を押し上げ、年金財政・医療財政を悪化させる


どういう意図があって、そんなことを言うのか。
他意はない。
現実、そうであろうから。
それで最も喜ぶ人はだれか。
長生きする本人が喜ぶのが一番喜ばしいのだろうが、感情を持たなくなった、持てなくなった人に、本意を確かめることは不可能だ。

介護保険制度により、要介護度が高い高齢者が、限度枠一杯の介護サービスを受け続ければ、平均余命、そして平均寿命を確実に延ばしていくに違いない。
医療保険や高額医療費負担限度枠などの保険適用を受け、延命処置を受ければ、ある意味たやすいことだ。
これにもしっくりこない。


寿命を考える時、もっとも悲しいのは、子どもや若い人たちが早く亡くなることだ。
死ぬには順番がある。
はやり高齢者順に死んでいくのが望ましい。

まして少子化社会を考える時、どんな理由であろうとも、子どもが命を亡くすこと、子どもの命を奪うことは、なんとしても防がなければいけない、あってはいけない。

簡易生命表では、死因として大きな比重を占める病気の医療技術が進歩すれば、平均寿命が一層延びることも報告している。
今まで救うことが難しかった病気が、利用技術の進歩で、助かるようになる。
もちろん、素晴らしいことだ。

が、その技術開発の目的は、長寿という望ましい動機とは別に、医療ビジネスマーケットの対象を見据えてのものも当然ある。

そして、無尽蔵に増え続ける社会的コストに対する抑制としては働かず、むしろブレーキが効かない半自動運転の性格を持つ営みとなっていることも、認識しておく必要がある。

少子高齢化・人口減少社会に、ある意味追い打ちをかけるような側面があるのだ。
すべてにバラ色というのは、困難なのだ。

これもあれも認識した上で、やはり、望ましい2050年社会を創造するための取り組みは、大きな夢であり、今を生きる者にとってのやりがいでもある。
そのやりがいという気概が、寿命を持つ人の間で、世代から世代へ引き継がれていく様を見ていくことができればと思う。

少子高齢化・人口減少社会の今と将来を考える意義・目的


前回と同じサブタイトルを付けた。

コロナは、いままで普通だったことを普通に継続することを困難にした。
新しい生活様式だ、新常態だ、と喧伝するが、現実的に何が確かなのか、どのような普通や状態が定着するのか、まだ先が見えない状況だ。

当然それは、ウイズコロナとアフターコロナを想定して人生設計をやり直すきっかけにはしているが、どの時点で、何をどこまで条件として設定すればよいのかさえ、決められない状況にある。

ただ確かなのは、一人ひとり生きる事が可能な人生の長さを一応仮設定し、その終点までの期間を、平均寿命・平均余命を参考して、どのようなライフイベント、ライフステージを組み入れ、演じていくか、行動していくかを、期限・期間付きで目標として描いてみることが望ましいということだ。

少子高齢化・人口減少社会を考えるとしたが、簡易生命表では、高齢化は理解できるが、少子化と人口減少社会までの視点は汲み取れない。


だが、ここに、前回同様、人口グラフを加えれば、平均寿命の延伸による高齢者比率の高まりに否が応でも目を向けさせられる。
そして、必然的に少子化による、現役世代・後継世代の人口減が並行して進むことがわかる。

それは、現役世代・後継世代に将来への不安を抱かせる。
その不安を払拭するために必要なことは何か。



自身と配偶者や子どもの死ぬまでの歴年と通過していく年齢の折れ線グラフを描く。
そのグラフ上に、自分自身の生き方・働き方を大きく変化させる時期と理由を付け加えておく。
今、未婚や、子どもに恵まれていない場合の目標内容とタイミングをグラフに書き加える。

ここに、結婚や子どもを持つステージと、それらの家族が成長し、そのライフステージも描いていく状況になれば、少子化対策・人口減少社会化に対する行動が起きる兆候を感じ取ることができるようになるかもしれない。

延びていく平均寿命、平均余命とその人生をどのように構築し、自分を生かしていくか。
不都合なコロナは、余命の持つ意味・意義を強く意識させ、その困難な状況において、積極的に生きることの重要性を、私たちとその家族に知らしめているかのようだ。

新型コロナウイルスの感染力は、それに対してただ受動的な人間には、滅法強い。
一方、人間は、本能よりも経済的条件や見栄や見えない不安などの負の条件を、行動基準としてしまう時代と社会に生きている。
このダメージや見えない壁を打破するには、人間という種の存続とその伝搬を、理性のもとで本能として取り戻して行動すべきと考えるのだ。

それは、きっと、合理的で賢明な選択になるだろう。

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