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「リベラルの敵がリベラル」の根拠と対策:『リベ敵』から考える-5

リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方-5

「倉持麟太郎氏著『リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方」と題したシリーズです。

◆第1回:『リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方-1
◆ 第2回:政治的なるものと日常生活における個人と社会:『リベ敵』から考える-2
◆ 第3回:生身の弱い個人とそのアイデンティティを救えないリベラルの弱み:「リベ敵」から考える-3
と進めてきていますが、1回目はプロローグから、2回目・3回目は、<第1章 君達は「アイデンティティ」を知っているか>が対象。

前回は、<第2章 包摂から排除へと屈折するリベラル>を対象として、リベラルの現状問題を取り上げ、
◆ 第4回:包摂すべきリベラル、が陥る排除の論理:『リベ敵』から考える-4
を投稿。
今回第5回は、その続きで、この節の見出しは本書のタイトルそのままの<リベラルの敵はリベラル>です。


リベラルの敵とみなすべきリベラルを確認する

では、敵は本能寺にあり、ではなく、リベ自体という敵は、一体どういう敵なのか・・・。

日本において、演じてきた民主主義や立憲主義がハリボテであったことは、平成30年間を通じてより明らかになり、もはや根本的なテコ入れをしない限り、それらの価値は維持していけないことは自明だ。
リベラルは自分たちが作り出した理想的で独善的なリベラル・モンスターによって食い殺されようとしている。リベラル・モンスターは表情も感情もなく、冷血で対話もできない。もはや人の形もしていない。この、リベラルの分身たるリベラル・モンスターこそが本当の敵である。

「リベモンが敵」と言われていますが、いささか抽象的です。
これまでの議論で、リベラルの誤り、勘違いについて厳しく指摘・指弾されてきましたが、それらを再度整理した以下の内容においても、やはり抽象的・情緒的・観念的ではあります。

リベラルが無批判かつ無邪気に主張し続けた様々な価値観が、グローバリゼーションやアイデンティティの政治を産み、他者を尊重し思いやるための「共同体」や「個人の尊厳」を歪めてしまった。加えて、リベラルが、その高すぎる理想を説教台から語るエリート主義(愚民思想)に陥ったことによって、怒りや不安で満たされた人びとが排他主義的な価値観のもとに結束した。愚民思想が蔓延すると、生活者たちは、自分たちはリベラルに信用されていないと判断し、もはやリベラルな価値観のもとでは結集しなくなる。リベラルに対する不信は必然である。

具体的に何が悪い、どこをどう修正すればよいのかを具体的に示してくれればいいのに、と思わなくもありませんが、そう簡単ではないことは想像できます。
加えて、以下の発言で、「国家」概念の再定義・再定位の必要性も提示しています。

リベラルは、非現実的な「個人」像から脱却し、共同体や文化に根差した顔が見えて温もりを感じる生身の個人による政治(「個人2.0」)の構築を模索すべきだ。そのためには、「国家」の概念も適切に再定位しなければならない。

これは、理解できます。
国家は、だれが形成し、どんな機能を持ち、だれがどのようにその機能の管理を行うか。
そもそも国家の目的は何か、も含め、実態としての国家を規定することは必須です。
そして、このことは、後述する「ナショナリズム」と直接関係しています。

国家にとって「リベラル」がどういうものか、敵か味方か。
そもそも「リベラル国家」「非リベラル国家」という分類があるのか。
望ましい「リベラル」は、国家をどう定義するのか。
あまり深刻に考えすぎると、リベラルが遠ざかるばかりのような気もします。

国家権力介入に必要な備えを

リベラルと国家の関係を論じることは、もちろん必要ですが、その選択肢の一つに、リベラルのみならず社会全般に対して、国家が権力をもって介入してくるリスクが常にあるとし、以下を提起します。

国家が介入することを前提に、権利自由を侵害したときのオプションを豊富に用意する必要がある。
新たに既定すべき権利・自由があるならば積極的に認め、肥大化し歪んだ国家権力をリバランスするため、特定個人の権利侵害がなくとも法や公権力の行為の違憲・違法を争える憲法裁判所のような機関の設置を検討すべきである。
裁判所や検察官、またはプレスなど権力と対峙することが予定されている機関の独立性を担保し、国家は社会をより強く逞しくするために、社会に対する適切かつ積極的な投資(関与)もすべきであろう。

内容的には、公的な機能としての完全性を否定し、国家をもってしても、権力の乱用や誤用もあり得るコトを前提として、国家から独立した裁定機関・機能の必要性を提起するものです。

これも納得すべき課題内容でした。
チェック機能の多重化は、残念ながら人間社会においてはやむを得ないことです。


ナショナリズムとうまく付き合う、ということ

我々はリベラルな「個人」にしがみつくでもなく、ナショナリズムとも折り合いをつけながら個人、都市(地域共同体)、国家のアイデンティティを再構築するという難問に向き合わねばならない。
ナショナリズムも、リベラルな立場からうまく付き合いながら社会をゆるやかに統合するツールにすることは必ずできる。「ナショナリズム」という言葉のニュアンスに反射神経的に反応してはならない。
我々は、今まで前提としてきたリベラルな強い「個人(individual)」概念や、ともすると猛獣化する「ナショナリズム」という概念のステレオタイプを捨て、どちらも一度ご破算にして、グローバリゼーションとアイデンティティの政治に引き裂かれた「生身の個人」から再出発だ。


同じことの繰り返しですが、私もそう強く思う部分なので、転載しました。
前回の
包摂すべきリベラル、が陥る排除の論理:『リベ敵』から考える-4
の中で、ナショナル・アイデンティティの必要性を以下の6つの理由で取り上げていたことと結びついています。

1.国民の物理的安全
2.政府及び公的権力の質の維持
3.経済の持続可能な発展
4.広範囲の「信頼」の醸成による社会の共通課題への理性的な討議
5.経済格差を是正するセーフティネットの維持
6.自由民主主義そのものを可能に

これらの内容は、右であろうと左であろうと共通のものがあったり、政権党が異なる場合に、異なる政策として具体化・具現化されるものもあります。
ナショナル・アイデンティティは、ナショナリズム形成と深く、浅く、関わってくるでしょう。

少しこの項目と直接結びつくイメージはないかも知れませんが、私が提案しているJBI日本型ベーシックインカム生活基礎年金制を考える上での悩ましい課題があります。
それは、すべての国民に無条件で等しくJBIを支給するのですが、日本国籍を持たずに、日本で働き、居住する外国人に対する支給をどうするかです。
日本国籍を取得することを目的として、日本国籍をもつ者と偽装結婚した外国人に対してはどうか。
JBI目当てで日本に入国を希望する移民が増えた場合どうするのか。

こうした課題について論じる時、必ずナショナリズムとの付き合い方が問われることになります。
果たして、純粋無垢・高邁なリベラルの判断と、共通観念としてのナショナリズムを軽く身にまとったソフトなリベラルでは、その判断が分かれるでしょうし、生粋の?ナショナリズム派の強い風をまともに受けた場合、リベラルは、どう反応するのか。

このようなテーマは、実は日常にいくらでもあるのですから、やはり一度ご破算にして、共通認識としてのリベラルを形成する必要があるわけです。

デジタル・デモクラシーにより民主主義の蘇生、バージョンアップは可能か

現在起きていることは、国家権力による個人の客体化、細分化、分断、そして弱体化だ。そのことにより、明らかに国家権力が個人を統治しやすい環境が作り出されている。
しかも、現代社会にあっては、ネット空間の広がりにより、国民一人ひとりに対し、「その人好み」にカスタマイズされた「居心地のいい」アイデンティティが提供されている。人びとは無意識のうちに、ネット空間によって個人を規定され、細分化され、結果として無意識のうちに分断されている。
国家権力が求める「統治しやすい」環境をネット空間が強力にアシストしている。「政治的なるもの」とデジタルテクノロジーは極めて相性がよいのだ。そして、この組み合わせは民主主義を破壊しかねない。
このリスクをコントロールし、デジタル・デモクラシーにより民主主義のバージョアップを図ることは果たして可能なのか?


リベラル・モンスターと闘い、モデルチェンジした、新しいリベラルを構築できるか。
そのための方策が、ある程度実現可能性を感じさせてくれるレベルで提示されるか。
期待を持っていたのですが、ネット社会の現実を見れば分かるように、コロナ禍でデジタル化が急加速する状況下、倉持氏が指摘するように、分断と憎悪と誹謗中傷がコロナ感染拡大規模と速度を大きく凌駕して、拡大する現実をみると、その困難さは、推して知るべしです。

その困難さを示すのが、次の<第三章 アルゴリズムが脅かす個人と国家の「自己決定」>です。
非常に興味深い内容なのですが、少しは希望を高めていきたいので、この章を後回しにして<第4章 ネット社会での最大勢力「無党派層」の振り向かせ方>に、次回ワープしたいと思います。
ただ、「振り向かせ方」という表現に、なんとなく上から目線的なニュアンスをが感じられるのが、少々残念に感じられるのです・・・

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なお、以下の赤い文字の見出し以降は、
包摂すべきリベラル、が陥る排除の論理:『リベ敵』から考える-4
で書いた内容の再掲です。

包摂した政策または活動として提起したい<平和と社会保障と民主主義を守る女性会議><女性主体政党>創設

現状のリベラルの再構築は、当分期待できそうもないと私は考えています。
しかし、これも、実現には相当の困難が伴いますが、少しは夢がある、希望を持てそうなものとして提案しているのが、女性の力です。
国会議員に女性が少ない状況をなんとか変えたい。
そういう思いからではなく、新しいリベラル勢力を形成するためには、女性が包摂的に集うことの方が現実的ではないか、そう考えるゆえです。

そしてナショナル・アイデンティを表現しつつ、一つの、しかし大きなグループを形成して頂きたい。
そう願って、以前以下のように提案しました。

「平和と社会保障と民主主義を守る女性会議」(仮称)創設のご提案(2020/9/24)

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平和と社会保障と民主主義を守る」女性会議、です。
それは、インターネット上でのコミュニケーションとグループ組織化から始めることでまずは十分と思っています。
課題は、言い出しっぺ役、リーダー役が存在すること。
既存の女性政治家ではないほうが良いと思っています。
ジャーナリスト、学者、さまざまなグループのリーダーが加わってくれることも期待したいのですが。

当面の活動には、コストがかかりません。
種々意見交換し、普遍的・共通性を見出しながら方向性と方法とを決めていけば良いでしょう。
そして、ある程度の全国的な基盤が整ってくれば、政党・会派の組織化に着手し、国会議員選挙への候補者立候補の段階に歩みを進める。
5年~10年計画くらいの取り組みを想定しておけばと思います。

その後これを踏まえて、提案したのが、以下です。

女性主体政党創設の夢:2030年自民党女性国会議員30%、20年後女性総理誕生に先駆けて(2020/9/30)

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 政党創設-1024x543.jpg


そして、その後、日本型ベーシックインカム生活基礎年金の理解と議論への参加を募るべく
日本型ベーシックインカム実現をめざすカウンター・デモクラシー・ミーティングを開設!
しています。
『リベ敵』にヒントを得ての行動です。
ご参加をお待ちしています。

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