介護の本質を冷静に考え、世代継承可能な制度改革へ:介護行政システム改革の視点-3

介護制度、高齢化社会

「COVID-19」後の、2050年社会システム改革:介護行政システム改革-3


介護に関する個別問題について考えてきた
自立・人権・尊厳、労働生産性:介護行政システム改革の視点-1 (2020/5/12)
介護士不足、介護離職、重い家族負担、中小介護事業倒産:介護行政システム改革の視点-2 (2020/5/14)
に続いての「介護行政システム改革の視点」の第3回。

一旦まとめを行うべきなのだが、もう1回、立ち止まって考える機会としたい。


多重複合要因難にある介護保険制度


多重複合要因苦、多重複合要因難にある介護保険制度。
介護財政の膨大な赤字、介護士不足、介護施設不足、介護離職・介護難民、介護自殺・介護殺人・・・。

あまりに改善・解決が困難な要素・要因が多くかつ絡み合っているゆえに、もうお手上げ。
どうあがいても小手先の策、弥縫策を繰り返して、介護財政の赤字の増大を見過ごす、やりすごす、しかない。
行政は、政治家にしろ官僚・公務員にしろ、いずれ自分はその職から離れていくわけで、なんとかその期間をやり過ごせばいいわけだ。
その代わり、あとに続く後継世代の今と将来の不安がじりじりと増幅していくことになるわけだ。

しかし、先行逃げ切り世代と揶揄される団塊世代は、自分たちの息子や孫の世代が生きていく社会に、不安が増幅することが分かったままま、さようならしていいものか。

さて、現役世代の介護保険料負担をジリジリと増やすこと、介護保険の恩恵を受ける要介護・要支援者の自己負担もジリジリと増やすこと。
それくらいしか手がないようなら、政治家・役人は必要あるまい。
それで、介護士不足や介護施設不足が解消されるわけでは絶対にない。
ただ、介護行政に伴う赤字財政の悪化の度合いと進み具合を、ごくごくわずかゆるくさせる程度だ。

乾坤一擲、不安・心配・懸念を払拭する手立てはあるか。
残念ながらない。
ないが、介護士不足や介護施設不足を改善する手立ては考えられる。
また、現状の議論のように、単純に自己負担と保険料負担の増額・増率に終始することからは脱却する方法は考えよう。
そのいくつかは、恐らく、人権・人道に反する施策と批判・非難を浴びるに違いない。
しかし、だれかが耐えなければいけない。


理想的過ぎた介護保険制度。コロナ後の新しい介護制度はどうあるべきか


今の介護保険制度が理想的すぎたのだ。
超富裕国しかできない、あるいはやってはいけない超優良制度だったのだ。
理想を掲げて、未来永劫素晴らしい制度と考えて創った制度ではなく、とてもとても甘い考えで、(いやもしかしたら純粋に高齢者のことを考えて導入したのかもしれないが)結構いい加減に造った制度だったのだ。

新型コロナのような厄災がいつ起こるかもしれない社会。
緊急事態宣言が全面解除されても、この厳しい経験を踏まえ、今後のリスクに耐えうるニューノーマル新常態を、形成・確立していくべきことを確認すべきだ。

政治・社会・経済そして日常の暮らし、すべてにおいての課題であり、介護行政・介護生活においてももちろんである。
そして、それらの対策・備えのためには、莫大な資産・資金が必要であること、国が豊かでなければいけないことがはっきり分かった。

必要な時に資金を投じることができる資産・財政体制を確立する必要がある。
そのためには、世代間の負担や受益が公平・公正でなければならないだろう。
なぜなら、世代は継承し、社会は継続し、その社会経済の営みも持続可能でなければいけないからだ。
できることならば、そのレベルが悪化するのではなく、最低限維持でき、少しでも改善・向上・成長していくことが可能でありたい。
先行する世代の責務であろう。


多重複合要因難対策は、介護行政だけでなくすべての領域に求められる

介護行政がテーマだが、その困難さの多重性・複合性は、実は介護に限れば狭い範囲のことだ。
社会には、コロナのような感染症・伝染病対策でけでなく、自然災害や国家間の紛争、原発リスク、そして経済リスクなど、想定内・想定外のさまざまなリスクが起こりうる。
何十年に一度レベルで、という形容も、それらの多種多様な厄災や事故事件が、それぞれ生起すれば、何かが毎年起きることになる。
そして現実にそれが起きている。

備えも憂いも、共に、同時に、そして常に必要で、かつ常にあるわけだ。

その前提で、そうした現実を踏まえて、介護行政を考えなければいけない。

介護とはなにか。
高齢者の人生はどうあることが望ましいのか。
後継世代との関係を踏まえて。
介護に携わる人のことも考えて。
年金保険料を負担してくれている世代のことも考えて。
そして自分の人生を振り返り、一生のあり方を考えて。
自分が反対の立場に立った時、どう思い、どう考えるか。

実は、相手の立場に立って考える、ということは、介護に限らず、すべての人間の営みにおいて、判断や行動の軸におくべき基準・規範だ。
エゴ、自己、自我は、両者の関係・バランスにおいて認められ、行使されるべきものだ。


介護の本質を冷静に、冷徹に、客観的に考える


現状の介護保険制度の運用、介護行政には、膨大な費用がかかる。
今後その額は増える一方だ。
ではその増え続ける費用において、高齢者自身はどのように過去負担し、貢献してきたか。
生き続け、介護を受け続けるこれからはどうか。

こう言うと高齢者を切り捨てるのか?
という極論をめぐる批判・非難の応酬になりそうだが、それはもちろん避ける。
また、こうした議論の展開には、政治・行政の主体は、絶対に持ち込まないし、避ける、逃げる。
選挙が大事だし、今の高齢者社会では、シルバー民主主義がまかり通るに違いないからだ。
それは本来の民主主義ではないのだが、団塊世代以上にその認識は期待できない。

そこそこ長くなった。
寄り道は寄り道で、一応まとめておく必要がある。

(1)介護保険制度は、総合・統合社会保障保険制度の導入・確立の上で改革
(2)総合・統合社会保障保険制度の根幹は、全国民・全世代型生活基礎年金、ベーシック・インカム制の導入

この2つは、これまで当サイトで提起してきたことだ。

(参考)
憲法で規定された生存権と「社会保障」:全世代を対象とする社会保障システム改革-1
○○手当は○○年金!?:全世代が年金受給機会を持つ社会保障システム改革-2
所得者全員が年金保険料を!:国民年金の厚生年金統合による社会保障システム改革-3
ベーシック・インカム制の導入を!
ベーシック・インカム生活基礎年金の年間総額、216兆円
社会保障保険制度試論
ベーシック・インカム生活基礎年金はポイント制で
ベーシック・インカム「生活基礎年金制度」続考


その全世代公平社会保障保険制度のもとで

(3)一定要件に該当する要介護高齢者の一部私権の抑止・抑制
(4)介護職者の准公務員制導入と社会保障職体系に基づくキャリア開発システムの導入
(5)未利用・利用不能遊休地・建築物などの公的利用法制化による介護など社会保障施設化の促進


などを提案したい。
これらの3項目についても、これまで何かしら述べてきていることではある。

次回、これらについて、もう少し踏み込むことで、現段階でのまとめとしたい。

写真素材無料【写真AC】


関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


2024年3月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
TOP