1. HOME
  2. NATIONAL POLITICS
  3. 求める「説明責任」、意味不明?:次世代に伝えては、教えてはいけないNGワード(3)
NATIONAL POLITICS

求める「説明責任」、意味不明?:次世代に伝えては、教えてはいけないNGワード(3)

「次世代に伝えては、教えてはいけないNGワード」。
これまでの2回は、以下の、「真摯」に「遺憾」に存じます、の2語。

紳士は「真摯」という言葉を軽々しく使ってはいけない:次世代に伝えては、教えてはいけないNGワード(1)
お詫びの言葉ではなかった「遺憾」の真意は?:次世代に伝えては、教えてはいけないNGワード(2)


今回3回目は、これも政界頻出慣用語の「説明責任」。
真摯とも、遺憾とも、一緒に用いられることも多いかもしれない。

真摯に受けとめれば「説明責任」を果たすべきと理解できるはず。
そうと思うのだが、真摯が軽い言葉になって、軽いノリで、使っているうちは、やはり、「説明責任」も、その意味も、実際にどうすることが説明責任を果たすことになるのかも、真剣に考えない。
そう遺憾なことが、繰り返され、不毛な時間が費やされていくばかり。


説明責任を果たすことを求める側の意識とその意味

不祥事や犯罪と判断されるような行動、あるいは一般的に不適切とされる言動を取ると、その事実・実態や、真意や理由、加えて責任の有無を話すように求める。
場合によっては「釈明」のニュアンスも含むと思われる「説明」を、攻める方・責める方は求める。

野党であったりマスコミであったり。
仮に与党が野党に下り、反対の立場に立てば、当然、攻守ところを変えての言動を取ることはいうまでもない。
時に鬼の首を取るかのような勢いで求めることもある。

実はこのとき、説明責任を求める方は、納得いく説明を聞くことができるとは思っていないことが多い(だろう)。
「ギルティ、有罪」「間違っている」と決めつけての断罪行為なのだ。
そう端から決めているのだ。
「説明責任」を実行、果たした時点で「アウト!」と身構えている。
次の取るべき「責任」に迫るべく。


説明責任を求められる側の意識と意味

だから、求められた方は、なんとか「説明」することは避けようとする、逃げる。
説明した途端、自分の非を認めたとされるから。

いや、時に、なんで説明を求められているのか、理解していない者、場合もある(のではないか)。
本人にその自覚がないのだから。
いうならば、そういう御仁は、一般常識や理性などを持ち合わせていないことが往々にしてあるから。
そうだから、説明責任を果たせと言われても、当人にとっては意味不明で、そんなことを言うこと方が間違っている、自分は被害者の方だと思っていることもあるだろう。
但し、そこまでは説明する御仁、言い切るお人はいないことが多い。
なぜなら、そこまで考えることができれば、なぜ求められているか、「説明責任」を果たすこととはどういう意味か、少しは分かってくるだろうから。

ここが結構、次世代の人においても、知っておいてほしい、自覚しておいてほしいことだ。


ご当人を取り巻く人たちの考える「説明責任」の意味と思惑

面白いことに、というか、当然というか、その取り巻きの当事者の人々は、真剣に当人に対して説明責任を果たすように、説得したり、責めたりはしない。
「説明責任を果たしてほしい」と言っている場面をよく見るが、一応立場上、形式的に言っているに過ぎない。

本人に非があると、端から分かっているか、きちんと説明などできるはずがないと決めているか、説明するともっとボロが出てくるか、火に油を注ぐことになりかねないから、暗に、やめておいた方がいい、やるなよ、というニュアンスでいっているか・・・。
そのどれかに違いない!


「説明責任」用語を使う上での注意点

「説明責任」を問うのは、求めるのは、基本的には「刑事」「民事」等訴訟案件における検察・裁判等によるものとしてではない。
一応、そこまで行かず、あるいは、場合によってはそこに至るかもしれない案件、その疑いがある事案について、公的・社会的な立場にあり、何らかの責任を持つ(と思われている)人が、公的・社会的な機能・機関、時に個人から、求められるものだろう。

だから、刑事・民事事案と認識・評価されるような内容ならば、求められる説明を拒否・拒絶することはできるし、しても良いはず。
司法・検察の場、機会に行えばよいのだから。
(まあ、その検察も、結構あってはいけないはずのリークをするので、信頼できないこともあるにはあるが。)

一方、単に?、道義的な発言や行為に関して求められる「説明責任」とはどういうものか?
いわゆる「不徳のいたすところ」(と、これもNGワードに加えたいが)の次元ならば。

その不徳は、恐らく「本意でなく、ついつい勢いで、自分を見失って」のモノ、コト、では決してない。
ほとんどが、本音・本心、心情・価値観に根ざしたものと推測してよいのではなかろうか。
(本音は、そう断定したいところなのだが・・・、一応忖度して。)

ということで、「説明責任」用語を用いたくなったら、説明を求めるのがよいか、説明を求めたらどう反応・対応するかを、予想・想定すべきだ。
実は、説明を求めるより、本音・本心をついつい話すよう誘導する方法を考えた方が良い場合がある。

また、司法・検察案件となる、すべきと考えるなら、その方向に物事が進むよう、単純に、紋切り型に説明責任を求めるのではなく、国会や公的な場で有効にその道筋をつけることができるよう、しっかり調査分析と想定問答集を用意してことに臨むことだ。
ヒステリックにならずに、冷静に・・・。

なお「説明責任」のお話は、政界だけにとどまることでなく、経済界・企業の責任などとも同様のことであること、付け加えておきたく・・・。

ということで、安直に「説明責任」を問う、求めることはやめた方がよい。
後世・次世代に伝えないほうがよい。
せいぜい、使い方を間違えないように、伝えておくべきかな、と・・・。


「説明責任」と聞くと、次には当然「○○責任」が・・・。
次回は、ご推察の通り「○○責任」を問うことになる・・・。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


写真素材素材【写真AC】
2022年11月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  
無料イラスト素材【イラストAC】

おすすめ記事






















ピックアップ記事