自立・人権・尊厳、労働生産性:介護行政システム改革の視点-1

介護制度、高齢化社会


「COVID-19」後、2050年社会システム改革に臨む-6:介護行政システム改革-1


介護関連課題と問題点


介護に関する制度・仕組み・システムを考えるに当たって、どんな視点・観点で進めていくか、思いつくところをメモしてみた。

・要介護者(要支援者含む):認定制度・区分、意識・希望
・介護作業労働及び担当者:家族、事業者、介護士等被雇用者
・介護する場所:介護施設(公営・民間)、自宅
・介護費用負担者:国・自治体・本人・家族・企業
・介護保険制度:保険料負担者、収支
・介護事業経営:国、自治体、民間
・介護行政・介護システム方針・政策・法制・管理


ひとまず、この程度までとして、そのいくつかを拾って考えてみる。

介護担当者の問題では、介護士不足は解消されず、介護休業制度や大企業ベースでの支援の広がりもあるが、介護離職も減るまでに至っていない。

介護保険制度では、財政面から、保険料負担者と負担する金額、国公費負担の爆増が問題になっている。
それに対しての安倍内閣の対策は、全世代型社会保障制度改革というカッコいいスローガンのもと、現役世代の介護保険料負担の増大抑制と保険利用者の自己負担額の増額でお茶を濁そうとしている。

介護事業と施設に関しては、要介護3以上に認定区分要件が厳しくなった特養が、入居に1年以上ウエイティングを要する状況は、相変わらず改善されていない。
コロナ禍で感染症者を出して休業に追い込まれた介護事業者や、休業要請をうけた中小零細の介護事業者の一部は、経営難のために倒産・廃業に追い込まれている。

なぜ、介護行政システム改革か


現状介護システムの基本となっているのは、「介護保険制度」である。
この介護保険制度に基づいて運営管理されている介護システムが、多種多様な問題点を抱え、毎年、小手先の対応・改訂に終始し、根本的・抜本的改善・改革の道筋が描かれ、納得の行く方策が示されることはない。

しかし、そう簡単に対応できるものでないことは、誰もが感じているところであろう。

先述した介護諸課題と問題点を、個々に検討すると、必ず他の課題・問題点と関係していることが分かる。
そして、別の課題・問題点と繋がり、また次の・・・、と循環が始まり、ゴールに辿り着くことがない。

「保育の社会化」と言われるのと同様に「介護の社会化」とそのあり方が問われることになるのだ。
しかし、この「社会」という設定も実は問題がある。
多くの識者・専門家が用い、主張する「社会」とは一体なにか。
その社会を言っているのか。

結論から言っておくと、その社会は「国」「国家社会」でしかない。
そしてその主体は、政権を持つ「内閣」であり、内閣の指揮下にある「行政」「行政官庁」である。

そして介護という人間社会が営み、必要とする行為・行動そして事業のあり方を、方針・政策・法律として規定し、管理運営の責任を持つのが、「国」「国
家」その機能を委ねられた「内閣」「行政」なのだ。

それらを統合・総合する機能全体を「介護行政システム」とすることにした。

介護を受ける人の人権・尊厳、介護する人の人権・尊厳

そこに「人権」や「尊厳」というキーワードが関係する。
単に法律・法制で解決することが困難な課題がある。
ただその時課題となる人権・尊厳は、ほとんどの場合介護を受ける側のそれである。
しかし、私は、むしろ介護する人の「人権」「尊厳」により多くの焦点を当てるべきと考えている。
介護を受ける人に対する虐待。
胃瘻を受けるか否かの問題。
この場合は「人道」という言葉も用いられる。

だが介護という仕事・労力は、心身とも大きな負担を強いられる。
時に、負担が過重な介護から少しは離れたいと思うことがる。
思うようにならぬ介護に、自分を失う時もありうる。

介護を担う家族が、介護費用を負担する場合には、経済的な負担も大きい。
仕事を離れることを強いられる場合もある。
在宅介護の悲惨・悲痛が、家族への暴力や殺人に繋がる場合さえある。
そこには、多少なりともの情状酌量すべき事情・理由がありうる。

自分の意志に反し、自分の生き方を犠牲にして家族介護を担うべき人。
彼らにも、自分の人生を営む権利があり、守られるべき尊厳がある。

私は、自分の家族には、私たち親よりも、自分たち家族のこれからを優先してほしいと伝えておこう。


介護・医療における延命措置と人道・人権・尊厳


医療の領域とも重なるが、植物人間化したと表現される、自らの意思と行為で生きる力を失った人に対して、介護・医療行為をするかしないか。
本人の意志の有無、家族の意志に左右される。
しかし、本人にその意志を表明することができない場合どうするか。

人道的な見地から、となると、延命措置はなされるべきとなる。
しかし、人が自力で生きることができなければ、自然に委ねるのが人間、人道。
そういう見方もある。

別の視点で厳しく考えると、延命措置を行うのにコストがかかる。
そして、意識がなく、自力で生きることが不可能な人にでも年金は支給される。
それも現役世代が負担してくれているコストである。
国費・公費も費やされ、その源泉は国民・市民である。
仮に家族が延命措置を望むなら、その費用は家族が負担するとするのは人道に反することとなるのか。

介護保険制度に盛り込まれた、要介護者・高齢者の自立を支援する、あるいは促す介護における「自立」とはどういう意味なのか、疑問を持っている。

一面的かつ一方的な意見になるが、私は、胃瘻は禁止すべき、安楽死法を導入すべきと考える。
もし自分がその立場・状況に至ったときには、自分の尊厳を守るために。
その旨、家族には伝えておく。



介護事業の労働生産性向上は可能か


よく言われ、事業者に求められることである。
介護の仕事の賃金が上がらないこと、上げられないことの理由ともされる。
しかし、間接的な業務を除けば、直接的な介護作業・介護労働そのものの効率化・生産性向上は、言うほど簡単ではない。
というか、むしろムリと言ってよい。
それが介護なのだ。
幼育・保育とも共通だ。

保育ではそうもいかぬが、介護では、せいぜい力を必要とする作業や身体に負担がかかる作業を軽減するために、パワースーツなどロボットを使うくらいだろう。
それとても、安価で軽量ならば、導入例も増えよう。
しかし、現実には、そのスピードは遅い。

介護施設が申請要求する介護給付などの計算・申請システムや介護事業会計システムなどは、国が標準介護業務情報システムを開発し、ハード・ソフトともに無償で供与すれば、かなりの事務の効率化になるはずだ。

(参考)
行政システム開発庁の設置を:行政標準業務システム開発による行政システム改革-2:介護保険管理運用システムの標準システム開発とソフト無償提供



生産性向上等多くの改善を可能にする、公的入所型介護施設の増設

私が、多少なりとも、というか、かなりの効率・生産性を高める方法として挙げたいことが唯一ある。

それは、訪問介護やデイサービスを大幅に縮小して、入所・宿泊型施設を増やすことだ。

一人ひとり個別に家を訪問して行う訪問介護。
一人ひとり個別に家に迎えに行き、送り届ける通所介護サービス。

その時間と担当者の労力とコストは、大幅に削減できる。
介護スタッフも、集約できる。
仕事がしやすく、安定化する。
もちろん、在宅介護・家族介護が減少し、負担が減り、介護離職の不安も軽減される。
事業の零細化・不安定性が低減できる。
但し、施設を建設するコストが馬鹿にならない。

だが、簡単ではないが、入居型施設を増やすことで、かなりの問題が改善・軽減・解消できる。
これは間違いない。
なぜか、入れ物・箱物行政を好むはずの官僚・官庁や国・自治体が、いろいろ言い訳・理由付けをして介護や保育など社会保障の領域の施設を国費・公費で建設することを嫌がる。

一部の官僚・お役人は、施設を増やすと、団塊世代が死んだ後は、今度は施設が余剰になり、ムダになる、と予防線を張り、いらぬ心配をする。
不思議なことだ。

余ることはない。
その折々の状況に応じて、他のニーズに応じて、転用すればいいことだ。
利用方法は、いくらでも考えられる。
地域の公的な施設、教育・訓練・研修施設、児童福祉施設・障害者福祉施設、母子家庭・父子家庭住居、単身者用住居、隔離用施設・・・。
まだまだ、アイディアがあるだろうし、社会経済の変化に応じたニーズも生まれよう。



今回は、どちらかというと「介護行政」を行う上で、前提として考えるべき方針・政策に視点を当てて、いくつかの問題提起をしてきた。
従い、明確な方策、改善策まで至っていない。

次回は、今回の課題を継続して、介護費用とコスト、介護士等専門職、介護事業の面から考えたい。
それを踏まえて、介護行政システム改革の第一フェーズのまとめを行おうと考えている。






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