闘争か、逃走か、構想か?どう民主主義に立ち向かうか:2050年の政治と民主主義-2

政治・行政政策

少しずつ、よくなる社会に・・・

成田悠輔氏著『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』( 2022/7/6刊・SB新書)を読み終えたことをきっかけに、<2050年の政治と民主主義>というシリーズを始めようと決定。
前回、その第1回目として、以下をプロローグとして投稿しました。
『22世紀の民主主義』実現の前にやるべきことがある:2050年の政治と民主主義-1(2022/8/4)

同書だけを取り上げるシリーズではなく、種々の書を行ったり来たりし、私自分の考えを集中して書いたり、とか、かなり迷走を覚悟・想像・想定しているのですが、まずは、その『22世紀の民主』を題材にして、数回考察することから始めたいと思います。

成田悠輔氏著『22世紀の民主主義』から考える-1

『22世紀の民主主義』構成

A. はじめに断言したいこと
B. 要約
C. はじめに言い訳しておきたいこと

第1章 故障
  ・○▢主義と▢○主義
  ・もつれる二人三脚:民主主義というお荷物
  ・ギャッツビーの困惑、またはもう一つの失われた20年
  ・感染したのは民主主義:人命も経済も
  ・衆愚論の誘惑を超えて
  ・21世紀の追憶
  ・「劣化」の解剖学:扇動・憎悪・分断・閉鎖
  ・失敗の本質
  ・速度と政治21:ソーシャルメディアによる変奏
  ・「小選挙区は仕事をすると票減りますよ」
  ・デマゴーグ、ナチス・SNS
  ・偽善的リベラリズムと露悪的ポピュリズムのジェットコースター
  ・そして資本主義が独走する
第2章 闘争
  ・闘争・逃走・構想
  ・シルバー民主主義の絶望と妄想の間で
 政治家をいじる
  ・政治家への長期成果報酬年金
  ・ガバメント・ガバナンス(政府統治)
 メディアをいじる
  ・情報成分表示・コミュニケーション税
  ・量への規制
  ・質への規制
 選挙をいじる
  ・政治家への定年や年齢上限
  ・有権者への定年や年齢制限
   ・未来の声を聞く選挙
  ・「選挙で決めれば、多数派が勝つに決まっているじゃないか」
  ・「一括間接代議民主主義」の呪い
  ・政治家・政党から争点・イシューへ
 UI/UXをいじる
  ・電子投票が子どもの健康を救う?
  ・ネット投票の希望と絶望
  ・表現(不)可能性の壁、そして選挙の病を選挙で直そうとする矛盾
第3章 逃走
  ・隠喩としてのタックス・ヘイブン
  ・デモクラシー・ヘイブンに向けて?
  ・独立国家のレシピ1:ゼロから作る
  ・独立国家のレシピ2:すでにあるものを乗っ取る
  ・独立国家:多元性と競争性の極北としての
  ・すべてを資本主義にする、または○▢主義の規制緩和
  ・資本家専制主義?
  ・逃走との闘争
第4章 構想
 選挙なしの民主主義に向けて
 民主主義とはデータの変換である

  ・入力側の解像度を上げる、入射角を変える
  ・データとしての民意1:選挙の声を聞く
  ・データとしての民意2:会議室の声を聞く
  ・データとしての民意3:街角の声を聞く
  ・万華鏡としての民意
  ・歪み・ハック・そして民意データ・アンサンブル
 アルゴリズムで民主主義を自動化する
  ・エビデンスに基づく価値判断、エビデンスに基づく政策立案
  ・データ・エビデンスの二つの顔
  ・出力側:一括代議民主主義を超えて、人間も超えて
  ・「しょせん選挙なんか、多数派のお祭りにすぎない」
  ・闘争する構想
  ・「一人一票」の新しい意味
  ・無謬主義への抵抗としての乱択アルゴリズム
  ・アルゴリズムも差別するし偏見も持つ
  ・選挙vs.民意データにズームイン
  ・ウェブ直接民主主義から遠く離れて
 不完全な萌芽
  ・グローバル軍事意思決定OS
  ・金融政策機械
  ・マルサの女・税制アルゴリズム
  ・萌芽の限界:自動価値判断とアルゴリズム透明性
  ・無意識民主主義の来るべき開花
 政治家不要論
  ・政治家はネコとゴキブリになる
  ・「民度」の超克、あるいは政治家も有権者も動物になる
  ・政治家はコードになる
  ・夢みがちな無意識民主主義
おわりに:異常を普通に


今回の第1回は、上記構成の冒頭にある、以下のプロローグ、ABCを確認する作業になります。

A. はじめに断言したいこと
B. 要約
C. はじめに言い訳しておきたいこと

A. はじめに断言したいこと>から

若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない、という断言の<不行き届き>

どうすれば政治を変えられるか?
若者が選挙に行って世代交代を促し、政治の目を未来へと差し向けよう。
選挙のたびに交わされる言葉を示した後、
こんな断言で、甘い夢をいきなり壊してしまいます。
ただ、「政治参加」の手段が「選挙」に集約されてしまうのは、不行き届きというものです。
選挙で政治参加をしたなどと自己肯定化を図るのは、あまりにも子どもじみている。
国政レベルでの、直接の政治参加に必須の、最初の手段は、国会議員選挙に立候補することであり、当選して初めて政治参加が叶えられるのです。

また筆者はここで、30歳未満の有権者数とその割合を示すことで、若者の国政選挙での投票活動の無力さを示しますが、非婚・晩婚40歳未満比率の高まりも考慮に入れると、40歳未満世代を包括することが適切と考えます。
しかし、そこである程度の投票数を見込みとして想定できることでよしとするわけにはいきません。
彼らが投票したいと思う政策・公約を掲げる候補者が存在することも必須。
それは、同世代の候補者が一定数以上存在することを前提としての話です。

選挙や政治、民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることが大事、という断言の<不行き届き>

もうひとつ、成田氏は、選挙、政治、民主主義というゲームのルールをどう作り変えるかが大事といいます。
当たり前のど真ん中の直球ですが、ルールをどう考えるかは、政治・行政の在り方を変えることでしかアプローチも実現も可能にはならないのです。
その軸の主体になるのが、40歳未満グループの若い世代です。
しかし、成田氏は、選挙に行くとか国会議員になる程度では、焼け石に水としています。
現状、法律改正や新規法律の策定は、国会で法案の是非を問い、可決成立させることでのみ可能です。
そこをまずクリアしなければ、何も始まらず、変化も起きはしません。
ゲームのルールチェンジには、残念ながら、国会で議論・採決され可決成立が絶対不可欠。
現状の政治、民主主義を変えて、そこに行き着く必要があることを与件としておかなければならず、彼の断言は、ここでも<不行き届き>で、効果・効用は期待できません。


<B. 要約
>から

資本主義と民主主義の簡単定義にも<不行き届き>

経済と言えば「資本主義」、政治と言えば「民主主義」。
勝者を放置して徹底的に勝たせるのがうまい資本主義は、それゆえ格差と敗者も生み出してしまう。
生まれてしまった弱者に声を与える仕組みが民主主義だ。

こう簡潔に○▢主義と▢○主義との独立性と関係性を示していますが、果たして「弱者に声を与える仕組み」を民主主義、と断じることにも<不行き届き>を感じてしまいます。
「声を与える」というのは一体何を示し、意味するのか漠然としていますし、その仕組みが民主主義というのも抽象的ですし、民主主義の多義性・多様性を考えると、極めて近視眼的で狭隘な定義と言えます。

故障状態にある民主主義

こうして力を失った民主主義は故障状態にあると理解・設定し、その実態・実相を客観的に承知しておく必要があります。
故障を示す最大の要因は、「民主主義的な国ほど、経済成長が低迷し続け」「『民主主義の失われた20年』を出現させたこととしています。
こうした民主主義の状況を「劣化」と捉え、それが加速度的に増しているとした上で、それと連動して、民主国家経済も閉鎖的で近視眼的になってきたことをここでは付け加えています。

重症民主主義再生の3つの処方箋

では、と、重症の民主主義を再生するための処方箋として取り出したのが、以下の3つ。
1)民主主義との闘争
2)民主主義からの逃走
3)まだ見ぬ民主主義の構想
そのそれぞれについての成田氏による要約の要約化を次にやってみます。

民主主義との闘争

ここでの闘争とは、民主主義と愚直に向き合い、調整や改良によって呪いを解こうとする生真面目な営み、ととても内容的には生真面目には思えない、むしろ不真面目に思えそうな提案をやってしまっています。
・政治家の注意を目の前の内向き世論だけでなく長い目で見た成果へと振り向けるため、GDPや平等・幸福度などの成果指標に紐づけた政治家への再選保証や成果報酬の導入案
・(その言い換えでもある)政治家の直面するインセンティブを改造する「ガバメント・ガバナンス(政府の統治)」案
・選挙制度の再デザイン案:オンライン投票、アプリ投票、政治家や有権者の定年制・任期制、世代別選挙区制、余命投票制等
(そのいくつかは、常識範囲内の提案であり、現役政治家の頭にはないだけのことですが)
・(同じく)男女別定数、政策論点ごとに投票を行う液体民主主義

しかし、これらの実現可能性は心許なく、現職政治家が賛同し、推し進めることなどあり得ないので、無理そう、と要約レベルではここまでのお話。

民主主義からの逃走

こうなると、民主主義との闘争は初めから詰んでいるとし、ならばそこから逃走してしまっては、として以下の要約を提示します。
ここで取り上げられるのが、タックス・ヘイブンならぬ政治的デモクラシー・ヘブン。

既存の国家を諦めデモクラシー難民となった個人や企業を、独立国家・都市群が誘致・選抜する世界。
独自の政治制度を試す新国家群が企業のように競争し、政治制度を商品やサービスのように資本主義化した世界。

格差を決定的なものとしてのメタバース的社会は、貪欲な資本主義経済社会の行き着く理想郷のようですが、現実問題は放りっぱなしなので、ここではまえがきでもあることから広がりを収めています。
ただ皮肉っぽく、ここでの逃走こそ、フランス革命・ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の大本命だろう、と括っています、

民主主義の「構想」というよりも「予測」による「無意識民主主義」が本命?

上記の常軌を逸脱した逃走はさすがに恥ずかしいか、その逃走とも闘争して、民主主義の再生・再発明を図る構想を設定し、その方法の概略を最後に示します。

その手法は「無意識データ民主主義」というもの。
インターネットや監視カメラが捉える会議、街中・家の中での言葉、表情・リアクション、心拍数・安眠度等々、選挙に限らない無数のデータ源から、人々の自然で本音の意見や価値観等々。
こうして収集されるのが民意データ
個々の歪みを孕む個々の民意データは、無数のそれらを足し合わせることでそうした歪みを打ち消し合い、民意が立体的に集約・形成される。
その無数の民意データ源から意思決定を行うのは「アルゴリズム」。
このアルゴリズムのデザインが、人々の民意データに加え、GDP・失業率・学力達成度・健康寿命・ウェルビーイング等の成果指標データを組み合わせた目的関数を最適化するように作られる。
(略)
この意思決定アルゴリズムのデザインは、
1)エビデンスに基づく目的発見
2)エビデンスに基づく政策立案
の二段階で行われる。

出てきましたね、学者の好きな言葉「エビデンス」。
ここではその指摘止まりで。

3つの意思決定の融合に基づく無意識民主主義と人間の役割の変化

この2段階の意思決定アルゴリズムは、
1)大衆の民意による意思決定(選挙民主主義)
2)少数エリート選民による意思決定(知的専制主義)
3)情報・データによる意思決定(客観的最適化)
の3つの意思決定の融合により機能する。
こうして周縁から繁り始めた無意識民主主義という雑草が、既得権益、中間組織、古い慣習の肥大化で身動きが取れなくなっている今の民主主義を枯らし、22世紀の民主主義に向けた土壌を耕す。

すなわち、民主主義は人間が手動で投票所に赴いて意識的に実行するものではなく、自動で無意識的に実行されるものになっていく。
人間はふだんはラテでも飲みながらゲームしていればよく、アルゴリズムの価値判断や推薦・選択がマズイ時に介入して拒否することが人間の主な役割になる。

こう述べた辺りから意味不明さが漂い、どうも本書の指し示す先に不安を感じることになってきました。

アルゴリズムが正しく機能せず、マズイ状況に介入して拒否する。
さらっと言っていますが、意思決定の頻度や深度などの程度が分からない状況で、この一言で済ましてしまうのは、正直、真面目な提案とは思えないのですが、どんなもんでしょう?

そうした状況では、政治家の役割はネコやゴキブリに置き換わっていたとしても、マズイ時に介入する人間はまともでなきゃマズイわけで。
しかもアルゴリズムに詳しい人に限定されてしまうのでは、と。
もっと詳しい話を聞いてみないと、この要約では、決して「いいアイディアだ」と恭順の意を示すことは拒否するのが賢い選択としておきたいと思います。


<C. はじめに言い訳しておきたいこと>から

政治の専門家の、いわゆる良識・見識にはまったく期待できない

「政治にも、政治家にも、選挙にも、まるで興味が持てない。どうでもいい・・・そう感じてしまう」と言い、「この本は素人の妄想」とする成田氏。
しかし、企業と自治体との共同研究・事業も行っているとプロフィールにあるので、行政サイドへビジネスアプローチを行っており、どうでもいいとは言えないでしょう。

また、自称政治家はもちろんのこと、政治学者も官僚も、政治を改革することに関しては、良識・見識が常識過ぎて、まったくもって期待できない。
期待できるものであれば、とっくにこの世の政治は変わっているはずだから。
だから、同氏は
・政治や選挙や民主主義を、放っておいても、考えたり動いたりしたくなるようにできないか?
・その難題に挑戦することがこの本の隠れた目的
としています。
何を隠そう、それが本題と言っているに等しいですね。

そのための
戦略1:政治や選挙や民主主義をちょっと違った視点から眺めることで、考え直す楽しさや面白さを作り出す(「内」なる興奮を作り出す)
戦略2:選挙や民主政治をどう改造してどう参加すればいいか、色々な方向に向かう戦略や構想を示す(「外」からの報酬を作り出す)
を提示しているが、とても「戦略」と呼べるものではなく、「略式戦術」レベルのものではないかと。ということで、あまり期待しないでおこうと思います。

「政治」と私たちが呼ぶ表舞台が海面に顔を出した氷山の一角であるとすれば、その下に隠れる巨大な氷山は無名で素人の個人たちの感情と生活であり、個人的なものこそ政治的である。

夢みがちな素人感覚と、研究者として培ってきた推論力・分析力、さまざまな場所で触れた政治家の言葉や表情から得たインスピレーションを混ぜ合わせてみる。
政治家や政治学者の本にはない謎の跳躍やアイデアをもたらせるか、実験してみたい。
(略)
ぜひ嘲笑してほしい。この本が必要なくなるような分析や思考を専門家に展開してもらいたい。
そして、実践者に政治の現場に落とし込んでもらいたい。
(略)
この本の内容が(筆者)独自の新しい見解だと主張するつもりがまったくない。etc.


まあ、言いたい放題です。
「はじめに言い訳」を、として言っていることなのですが、政治家同様、責任など取る必要がまったくないので、編集者の知名度を借りた、ベストセラー狙いの意図、満々のプロローグの開き直り、アンド、茶化しの結語となりました。
まあ、何を書こうといいわけで、私にとっては、私のこれからの「<2050年の政治と民主主義>シリーズ」での提案・提起に少しでも有用であれば良いわけでもあります。
書いたことに責任を負う必要がないという同じ土俵でのこと。
要約で読んだことがすべてではないはず。
意外にその程度のことで終わってしまい、興味半減程度に収まってしまうのか、それとも読み進めるうちにグイグイ引き込まれていくのか分からないが、一応後者に期待しつつ、次回から本論に入っていきたいと思います。

少しずつ、よくなる社会に・・・

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