
こどもは公共財か、社会の覚悟で少子化は改善できるか:日経経済教室「少子化に打つ手はないか」から考える-2
少しずつ、よくなる社会に・・・

2022年6月3日に厚生労働省から発表された2021年度の<人口動態統計>。
1)年間出生数は、80万人割れに迫る81万1604人
2)合計特殊出生率は、過去最低1.26に迫る1.30
と、予想された結果でしたが、それなりに話題に。
その結果をベースに、当サイトで先月以下投稿。
◆ 2021年出生数81万人、出生率1.30。過去最低2005年1.26に迫る:2021年人口動態統計より(2022/6/5)
◆ 過去何も生んでこなかったマスコミの少子化対策政府批判:2022年年間出生数80万人割れ警鐘の人口動態統計(2022/6/6)
◆ 少子化と結婚しない人の増加、その背景・要因:2021年人口動態統計からの欠かせない視点(2022/6/10)

この人口動態統計結果が出た後、日経が同月下旬に、「少子化に打つ手はないか」と題した<経済教室>レベルでの3人の学者の提言をシリーズ化して掲載。
前回から、それぞれを順に概説し、評価・批判するシリーズを始めています。
第1回は、松田茂樹中央大学教授による、
※(経済教室)少子化に打つ手はないか(上) 幅広い支援と現金給付充実 松田茂樹・中京大学教授 :日本経済新聞 (nikkei.com)(2022/6/20)
というテーマでの小論を取り上げた記事
◆ 究極の少子化対策、総域的支援の意味と現金給付の適正額は?:日経経済教室「少子化に打つ手はないか」から考える-1(2022/7/14)
今回は、第2回で、前田正子甲南大学教授による
※(経済教室)少子化に打つ手はないか(中) 出産・子育て リスクにするな 前田正子・甲南大学教授 :日本経済新聞 (nikkei.com) (2022/6/21)
という小論を取り上げます。

子どもを相変わらず「公共財」とみなす学者・研究者の意識に問題はないか
子どもが生まれなければ社会は存続せず、次世代が育たなければ、社会の様々な機能を支える人材がいなくなる。
年金をはじめ社会保障制度は次世代が支える構造になっており、社会のセーフティーネットの維持も難しくなる。
少子化は日本社会の未来を揺るがす「国難」なのだ。
子どもは社会にとって公共財としての側面も持つ。
のっけからこんな、ある意味大げさなアジテーションで始まる小論です。
「公共財」という側面は見方によればあるでしょうが、それは本質的・根源的なものではないはず。
子どもを持ちたいと思う人は、「公共財」としてわが子を社会や国に差し出す、提供するなどという考えをもってのことではないでしょう。
前田さんはそうだったのでしょうか。
保育に関わる仕事を担う人は、こどもをそのようにみなして仕事に従事すべきなのでしょうか。
学者研究者が、日本社会の未来を揺るがす「国難」などとアジることの方が、コトを一層難しくしているのではないですか。
早々のいちゃもんはこのくらいでとどめておき、次の指摘・問題提起に進みます。
子どもを生み育てやすい国だと思う人、4割の国、ジャパン
結婚も出産も自己決定するものだが、今の日本社会は子どもを持ちたいという人を支え、安心して出産し、すべての子どもが健やかに育つ環境を保障できているだろうか。
この問題提起から筆者が例示したのが、内閣府が行った、日本、フランス、ドイツ、スウェーデン4カ国を対象とした<少子化に関する国際調査>結果の一部。
「子どもを生み育てやすい国だと思う」という回答が4割弱にとどまる日本に対し、仏独は8割前後、スウェーデンは97%。
まあ、よく比較データとして用いられる例です。
そしてこう繋ぎます。
育児休業制度をはじめ各種の子育て支援策の導入など、少子化対策はそれなりに進んできた。
だが日本社会で子育ての安心感を得られないのはなぜだろうか。
その一つの要因に1994年策定の子育て支援総合計画「エンゼルプラン」以来、常に財源問題を抱え、既存の施策を少しずつ拡充することしかできなかったことがある。
そのため施策はパッチワーク的であり全体像が見えにくい。
それは2000年に始まった介護保険が安定財源を得てゼロから新しい制度を組み立て、高齢者介護の世界を根本的に変えたのとはあまりに違う。
(略)
だが「結婚出産を単に先延ばししているだけ」という見方から、若者が結婚出産しやすくなる抜本的な対策はとられなかった。
日本社会は20年前にチャンスを逃している。
財源問題に要因・原因を持っていくのは、元々必要という認識自体が希薄だったか、欠落していたからでしょう。
それをまた介護保険制度と比較して論じるのもどうかと思います。
年々悪くなる介護制度なのですから。
20年前に逃したチャンス?
抜本的対策?
虚しく響く、意味不明の言葉です。

日本の子育て支援策に不足するもの
筆者は、日本の子育て支援策に不足するものとして、以下を取り上げます。
1)制度が細切れで包括的な子ども若者支援体系となっていない
2)自治体間の制度充実度の格差
3)制度利用の格差
しかし、それらが、現状の厳しい少子化を招いている重大な要因とは決して思えません。
一応、ざっとその内容を紹介しましょう。
1)細切れな政策
・子育て支援施策は妊娠期から青年期まですべてのライフステージを通して、現金給付と現物給付を効果的に組み合わせて包括的に実施すべき
・現状は幾つもの縦割りで、制度間の隙間もあり、実施主体も分かれ、財源不足から十分に提供されているとは言い難い
・全体像が分かりにくく、利用者自身がどんな制度があり、どの段階で制度適用となるのかを情報収集せねばならない。
・世帯年収などで利用・適用の可否が決まり、多子世帯への支援も弱い。
・安定的な財源に裏打ちされた包括的で一元的な枠組みになっていない。
あるわ、あるわ。
こんな調子で他の2点についても挙げていけば切りがありません。
2)自治体間格差
・妊娠期のケアから、出産、産後ケア、乳幼児期、就学前児童の保育や教育、放課後児童育成、そして若者支援までの現物給付は主に自治体が担っている。
・国がモデル事業や良い事例を紹介しても、自治体がそれなりの財源を確保して人手もかけないと、子どもや若者が安心して育ち自立していく環境は整備されない。
・自治体の現場は財源・人手不足に直面しているうえ、そもそも専門職の確保が難しい自治体もある。
少子化対策絶対困難要因のオンパレードです。
3)制度利用の格差
・育児休業制度にみられるように、正規と非正規雇用者では制度利用に格差
・雇用されることが前提で組み立てられている社会保障制度から外れるフリーランスなど、多様な働き方の人が増えており、保障のない不安定な就労では結婚や出産は難しい。
・狭義の子育て支援策を超えて、様々な働き方やライフコースにかかわらず安心して出産・子育てできる制度の再設計が必要
これでは、関係する行政主体の全てに責任がないことを示していることになるわけです。
見方を変えれば、これだけいろいろやっても少子化は止まらないのだから、もう何をやってもムリ、白旗!という感じ。
それらを一気通貫で、総合的に進めたところでムリでしょう、と妙な説得力をもたせた主張のような気がしてしまいます。

コロナ禍が子育て世帯に与えた負荷・負担の大きさと子どもを持つことへのリスクと不安の増加
そしてそれにコロナが加わります。
長引くコロナ禍で子育て世帯は影響を受けている。
学校や保育所の閉鎖・休校休園による保護者の負担。
収入減少による生活不安。
世帯間格差、所得格差が、子育て資源格差に影響を及ぼし、若い世代に「子どもを持つことはリスクにもなる」ととらえる者もいることを、筆者が行った調査結果から指摘。
何があっても子どもの健やかな育ちや若者を守るという社会の覚悟を示さないと若い世代は安心して出産・子育てできないだろう。
という。
やはり出ましたね「社会の覚悟」。
便利汎用用語「社会」。
こども家庭庁が強いメッセージを発すればことは改善・解決できるのか
来年2023年4月に発足するこども家庭庁には、包括的な子育て支援策の拡充・体系化だけでなく、子どもを生み育てやすい社会を作るという強いメッセージを発信してもらいたい。
中途半端ではない改善に取り組むための身を切る改革と財源策を具体的に示すべき
以下は、そのこども家庭庁へのエールと読めばいいのかどうか。
中途半端なことでは状況は改善できない。
すべての人をカバーする一元的な子育て支援制度を確立するには、既存の子ども関連施策の整理統合や身を切る改革のみならず、新しい財源が必要になる。
その新しい財源確保の方法と必要規模・額を提示すべきなんです。
いつも、「必要だ」で終えることは、だれでもできること。
少子化対策に残された時間は少ない。
子どもへの投資は未来への投資だという私たちの覚悟が試されている。
このような抽象的かつ情緒的表現を提案とは絶対に呼ぶことはできないでしょう。
どれだけの時間・年数があれば、少子化対策に有効というのか、それが可能になると言うのか。
未来への投資と言えば、どれだけ有効となるのか。
「試される覚悟」とは、どういうものか、そのジャッジはだれがどのように行うというのか。
「私たち」を自分のことと思うべき「私」とはだれなのか曖昧だし、このような言葉は、誰にも響かないし、刺さらないし、役に立たない。
こういうことを言っていればこの問題を専門とする学者・研究者の責務が果たされるという認識を排除することが、真の少子化対策を語るスタートラインに立つことを意味するかもしれないのです。
この問題に関係する者の一人として行うべきことは一体何か?
その自問自答を、学者研究者は行うべきと考えるのです。
元々このレベルの小論には期待していないのですが、結局、「打つ手はないか」という日経サイドの要求に対する前田氏の回答・対策は、覚悟と財源であり、こども家庭庁への期待というレベルのものです。
日経はこんなところで納得するんでしょうか。
まあ、日経編集氏の提案・提起も毎度こんなレベル・内容なので同じ穴の狢。
やらない政府が悪い、ということになるのです。
気楽なもんです。


2年前にも前田正子氏の小論を取り上げてます
実は、前田正子氏は『保育園問題 待機児童、保育士不足、建設反対運動』(2017年4月刊・中公新書)という新書を5年前に発刊しています。
そしてまた、偶然というか、必然というか、2年前2020年5月に、やはり日経<経済教室>に掲載された「幼保無償化半年」というテーマでの小論に同氏が寄稿しており、今回同様、当サイトで以下のように取り上げています。
◆ 幼保無償化後の現実的課題:抜本的な保育行政システム改革への途(2020/5/29)
その折も、今回同様、厳しく同氏の論述を批判・評価しているのですが、同氏の姿勢と本質は、何年経っても変わることはなく、教授という立場も同様です。
横浜市副市長を務めた経験・キャリアも、それが活かされているのは大学教授になったことかどうなのか・・・。
真に保育行政を変革するためには、実はこうした本来専門領域の研究者の提案・提言が、政治家や行政に真摯に受け止められ、意思決定に影響を与えるものであるべきと思うのです。
しかし、いわゆる専門分野の良識を持つ人として、せいぜいで政府の諮問会議等の委員などに指名され、そこで自論を伝えれば役割を果たしたということに。
基本的には、大学で教鞭を取り、時折、マスコミに小論を提供し、時に書籍化すればそれなりの存在意義はあるということでしょうか。
政治家も官僚も責任意識がなく、実際に責任を問われることがないように、学者・研究者も同様なのです。
そういえば、どちらも「先生」と呼ばれる職業ですね。
生活の糧として専門分野を研究し、学生を教える職業人。
その分野での政治や行政に直接関わっていく生き方・働き方への改革。
それを提言する立場ではなく、自ら実践する者であって欲しい。
勝手にそう思っています。
前回の松田茂樹氏の「少子化の打ち手」は現金給付にフォーカスされていて、これはいい!といっとき思ったのですが、突っ込み不足、具体論に到達せず、の残念賞。
◆ 究極の少子化対策、総域的支援の意味と現金給付の適正額は?:日経経済教室「少子化に打つ手はないか」から考える-1(2022/7/14)
今回は、ファイティング・ポーズにもならない、がっかり賞。
次回、第3回は、脇坂明学習院大学教授の小論。
期待せずにアプローチします。


少しずつ、よくなる社会に・・・
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