
民主主義はデファクトスタンダードではないという現実:自由民主主義国の人口は世界人口の13%のみ
少しずつ、よくなる社会に・・・

グローバル社会における自由民主主義国家が占めるポジション
2021年時点において、世界人口の7割にあたる約54億人が非民主主義的な体制下にある。
スウェーデンの独立機関V-Demが2022年3月に公表した調査による。
2012年には42カ国だった「自由民主主義」に分類される国が、2021年には34カ国まで減少。
人口ベースでみると世界のわずか13%にとどまるのが現実である。
何となく、日々暮らす日本が民主主義国家であり、それがふつうの社会的・政治的体制と思っている。ロシアのウクライナ侵攻において欧米各国が民主主義を守るという旗印のもとに、ウクライナ支援に、武器も金もと投じている状況をみると、自由民主主義国家グループと強権・独裁主義国家グループ間の抗争のように単純化して捉え、なんとか前者のグループが勝利することを願っている。
気が遠くなりそうな国土・諸施設そして国民の甚大な被害を受けながらその支援により持ちこたえ、反転・反撃の機会を狙い、自由民主主義国家であることを希求するウクライナの驚異的な国家体制・価値観がある。
その一方で、経済的制裁を受けながらも、自国資源を求める国に従来よりも安く売り、必要な戦費に充当し、国家的社会的生活も維持しているプーチン独裁強権ロシアは厳として存在し続け、軍事力の弱体化と膨大な被害を蒙っているとされても、ウクライナへの攻撃の手を休めることはないという現実。
自由主義・民主主義国家が常に正義であり、対する悪とされる強権・権威独裁国家が滅びるなどという勧善懲悪は、フィクションの世界のことに過ぎないのも現実である。
そうした中、民主主義国そのものの影響力が弱まっている事実をまた看過できない。

自国経済ファースト基準が勝る国家行動の選択可能性と自由主義性
その理想がたやすく支持され、ワンワールドに統合されない最大の要因の一つは、それぞれの国家社会の経済的事情、貧困と成長の現実的課題にあることも明らかだ。
それは、カーボンゼロ政策が、欧米先進国主導で進められ、関連するSDGsもESGも、いわば資本家・投資家主導のきれいごととして、自由民主主義、資本主義国家グループが相乗りする形で形成され、展開されていることへの不満を、後進各国が抱いている現実と関係している。
そこに、強権・権威独裁主義国家グループが、資本主義の別形態での国家資本主義をカジュアルウェアとして身につけ、双方にバランスを取りながら関与してきている現実が重なっているわけだ。
後進国にとっては、カーボンゼロという先進自由民主主義国グループがやりたい放題やってきた上での身勝手なルール創りとその強制には、少なからず、反対・反意を抱いている。
従い、今すぐ自国経済にプラスになるならば、2つの体制のどちらであっても、優位にな方に与するのは、当然のことであり、これを責める権利は、どこにもない。
ロシア、そしてどこよりもなによりも中国の野心・野望に基づく反自由民主主義を標榜しての誘い・申し出は、そうした後進国、中低所得国にとどまらず、大国と見ることも可能な国家においても、魅力に映ることは止めようもない。
中国とロシアはこの隙を突いているわけだ。
今、NATOグループやG7各国が躍起になっても、どこかに温度差があり、完全に一体化できないことは、どこにも同様・共通の希望や思い、利害関係があるためであることも自明である。
まさに、エネルギーは富裕層だけの特権であってはいけないわけだから。
G20レベルになれば、ウクライナ侵攻・危機問題における、自国意思の決定基準自体がダブルスタンダード化することも自明である。
すなわち、新興国からみれば、どちらか一方の陣営につくのは得策ではなく、そしてまたG7がロシアを排除しても新興国中心のG20は門戸を閉ざさないわけだ。
悲しいかな、思想・理想ファーストではなく、経済・お金・生活、そして財政が国家政策・戦略判断の軸になることを意味する。

自由民主主義国自体が諸問題を内部に抱える現実
となると、自由民主主義国家を標榜する各国は、その素晴らしさをアピールしつつ、お金も出す両面作戦が必要になる。
しかし、これまた残念なことだが、それらの国々が皆、素晴らしい社会・国家を形成し、社会経済システム・政治行政システムを構築し、望ましい未来社会の創造に歩みを進めているかと問われれば、とてもとても・・・、というのがやはり現実である。
そしてそれ以前の問題として、ウクライナ侵攻の長期化によりもたらされている民主主義陣営各国間の温度差は、関心が価値観ではなく、より切実な食料やエネルギーに集まることが要因であることも。
こういう状態においては、むしろ強権・権威独裁国家のほうが、内から見れば便利・合理的であるかのように思えてしまうのも、残念なことだが、已む無しということになりそうだ。
「民主主義対権威主義の図式にはめ込むのは、終わりのない善悪の議論に足を突っ込む」ことと断じた国外トップがいる。
だが、終わりのない議論と知りつつも、それを試み、継続することが不可欠であることも確認しておく必要があるだろう。

民主主義国家の体裁が変質するリスクさえ抱えた日本の現状
日本においては、移民問題や格差・分断の程度を考えれば、多少は欧米各国よりも増しかのように思えてしまう民主主義なのだが、今月10日に参議院選の投開票が行われる政治状況・社会状況を冷静に考えれば、理想とする民主主義には程遠いと言わざるを得ないのも現実だろう。
むしろ、コロナ危機・ウクライナ危機により、国のというよりも、政権政党による国の権力行使面では、強権・保守国家への傾斜が強まることを背景として、あるいは一部懸念しての参院選という性格が強まっていると見ることもできる微妙な状況にあるわけだ。
ただ、どちらにしても、現在への対策・対応のみで政治や選挙を考えるのではなく、10年、20年、30年スパンで、世代を継承しつつどう改善・改革に取り組むかの視点での議論と行動が必要であることを何度も確認して、歩を進めていくことにしよう。


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