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第二次世界大戦・東日本大震災・新型コロナウイルス感染症:国際社会・ローカル社会・グローバル社会

新型コロナウイルス禍は、第二次世界大戦以来のグローバルレベル事件


1945年に終戦を迎え終結した第二次世界大戦は、現代史において、もっとも悲惨で、甚大な犠牲を招いた国際社会における大事件。
人がもたらした愚の骨頂というべきもので、二度と起こしてはならない教訓となっているはず、なっているべきものである。
まだ「グローバル化」や「グローバル社会」という表現が用いられなかった時代における人災だ。

そして今、一日も速い終息をという期待を裏切り、まさにグローバル時代の世界各国に拡大し続ける新型コロナウイルス感染症。
これは、第二次世界大戦以来の危機・厄災・事件と言っても決して過言ではないだろう。


日本というローカル社会での東日本大震災がもたらした、グローバル社会の共通認識化


明らかな人災に対して、どうともしようがなかった2011年3月11日に起こった自然災害・東日本大震災。(それが引き起こした福島第一原発事故は、人災と言われているが。)

グローバル社会における日本のローカルの一つである東北地方一体を中心に起きた東日本大震災。
今も目に焼き付いている悪魔のような津波がもたらした、悪魔の仕業でしかない甚大な被害・犠牲とそれらがグローバル社会に与えたショック。

それは、グローバル社会のシンパシー、同情、激励、共感などを抱かせることにもなった・・・。
そうした自然災害に対する防災や備えの必要性、有事のときのグローバル社会での協力の大切さなどの共通認識を持たせることにも・・・。


グローバル社会における、グローバル化した感染症新型コロナウイルス禍

そして2020年、新型コロナウイルス感染症。
中華思想・覇権主義の権化ともいうべき中国発(ではないと当事国は言っているが)の厄災。
(果たして人災か、人の力が及ばぬ仕業というべきか、真実は後日として。)

まあ、ローカルというにはあまりにも巨大過ぎる、グローバル社会に厳然とした影響力を持つに至った中国発のコロナウイルス禍。
まさに国際社会とは意を異にするグローバル社会において、ある意味「危機」をもたらしている・・・。

グローバル化、グローバル社会は、人、物、金、そして情報、すべての動き・流れの速度とエリアの拡張・拡大・拡散をもたらす。

一方また、個々のローカルの人と社会の生活の関係性・密着性、ある意味閉鎖性は変わらぬゆえの悪疫の感染の強さ・影響力は、中世ヨーロッパや近代・現代のアフリカの疫病とも変わることがない。


グローバル禍がもたらす反グローバル社会化と終息後のグローバル社会のあり方

グローバル社会において発生し拡大した新型コロナウイルス感染症は、国家間の人や経済の移動を禁止するに至っている。
出ることも入ることもできない。

グローバル社会が、逆回転し、非グローバル化し、反グローバル社会化する。
保守にならざるを得ない。
自国最優先にせざるを得ない。

もちろん、その中で、協力や協調や支援は起きるだろうし、徐々に元の流れに戻っていくだろうが、果たして、まったく元のままのように戻るだろうか?

ヨーロッパを中心に問題が継続している移民問題と保守化。
アメリカ・トランプ政権がもたらしている自国第一主義や反グローバル化をめざしながらも大国主義の看板をより強固にしようとする矛盾。
そして、感染発源の国と言われながらも、現に持つグローバル社会における影響力を、この禍にあってもいうか、まさに逆手に取るかのように強めようとしている中国。

その中で、コロナ禍では中国と同じ眼で見られる要素も持ち、中国寄りの判断も優先し、トランプに似た行動をも取り、嫌韓・反日のはざまで先が見通せないままの時間を費やしている日本。

内にあっては、当然ながら、グローバル社会共通の先行き不安、東京オリンピック・パラリンピック開催不安(参加各国のコロナ禍を考えると中止・延期が当然なのが常識なのだが)、国内での移動・イベント抑制等緊急対策・・・。
(大相撲の無観客興行はまだしも、選抜高校野球まで中止の報までが・・・)

人、物が止まったグローバル社会は、グローバル性を決定的に欠くことに。
しかし、資金と情報は、変わらず、一部様相を変えて動くだろう。

その時、そしてこの後で、グローバル社会、個々のローカル国家と人々は、なにを学び、どう考え、どう行動するだろうか。
その行動は、グローバル人としてか、ローカル人としてか。

人種・国籍・宗教、年代・性。
それぞれ、自分自身と子ども・次世代の人生と社会をどうしたいと考えて生きていくだろうか。

この私は、この日70歳の第一日、第一歩を前に踏み出すことに。
鎮魂の願いと共に。
そして、望ましい次世代のあり方を考える日々とすることだけは已むことなく・・・。