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女性政党政治はジェンダー平等に反するか:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-7

・三浦まり氏著『さらば、男性政治』(2023/1/20刊・岩波新書)
を題材にして、政治改革を女性主体政党の創設・拡大で成し遂げることができないかを考えるシリーズ【三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える】シリーズを進めてきた。

<序>:女性主体政党はジェンダー平等時代に逆行しているか:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える(序)(2023/5/26)
<第1回>:「男性ばかりの政治」の実態と要因を確認する:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-1(2023/5/31)
<第2回>:ジェンダー不平等を固定化させる政治的風土と平等実現の条件:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-2(2023/8/5)
<第3回>:政治風土や選挙文化を変える手立てを具体化できるか:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-3(2023/8/7)
<第4回>:女性政治家になる上での困難・障壁とは:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-4(2023/8/9)
<第5回>:女性議員・立候補者に対するミソジニーとハラスメントにどう対処するか:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-5(2023/8/12)
<第6回>:日本版パリテ法「候補者均等法」で、どうなる女性議員クオータ:三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-6(2023/8/15)


今回はシリーズ終盤の<第7回>で、シリーズ<起承転結>の<結>の前編として最終章である「第7章 ジェンダー平等で多様性のある政治に向けてを取り上げる。

三浦まり氏著『さらば、男性政治』から考える-7

第7章 ジェンダー平等で多様性のある政治に向けて

第7章を構成する項目は、以下のとおり。

第7章 ジェンダー平等で多様性のある政治に向けて
 1)女性議員が増えることのメリット?
 2)男女で異なる政策への関心
 3)女性議員の増加とジェンダー平等政策の進展
 4)女性議員が切り拓いた政策
 5)クリティカル・アクター
 6)クリティカル・マス
 7)女性議員の増加と民主主義の強化
 8)女性リーダーは何を変えるか?
 9)ロールモデルが存在する意義
 10)生活者としての女性
 11)「女であること」の意味
 12)「生活政治」の転換と新自由主義の台頭
 13)格差社会と生活
 14)リーンイン・フェミニズム批判は日本の現状に妥当するか?
 15)フェモナショナリズムの批判とは
 16)左右イデオロギーとジェンダー
 17)声を上げ始めた女性たち ー MeeToo時代の政治参加
 18)当事者という政治主体
 19)声を聴くのは誰か?
 20)政党政治の刷新に向けて


上記各項目を8つの小テーマに区分して概要を整理して考えてみたい。

1.多様性議会実現の必要性と重要性

議会構成が社会の実態から乖離し、特定の属性の議員が過多に選出され、女性議員が極端に少ない選挙制度・選挙システムは、民主主義の観点から問題であり、抜本的に見直す必要がある。
「女性議員が増えることのメリットは?」という問いに対して、「男性議員が圧倒的に多いことのメリットは?」と筆者は逆質問する。
そこにはマジョリティ対マイノリティ視点での議論が前提となっており、本来は、「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)」を想定・前提とする政治の在り方が問われると筆者は主張している。
(前章まで)女性が増えない現実と問題点を取り上げ、女性を増やし、多様性のある議会を実現するための具体的制度改革を論じてきた筆者が、この最終章で、女性の政治参画を進め、ジェンダー平等で多様性のある政治が実現すると、どのような未来が待っているかを考える、という。
 確かに、具体的制度改革を論じてきたかのようだが、明確な手法・手段はクオータ制のみで、多様性のある議会そのものの実現は、結局、女性議員が少なくとも3割以上占めるようになるのを待つしかないという結論に至っているのでは、と。

2.男女で異なる政治・政策領域への関心をどう考えるか

 いきなり、男性政治にさらば!と告げて前に進むことは、極めて困難である。
間接的にその理由と考えている要素の一つに、三浦氏自身がこの章で、各種調査を通じて、男女議員間で、関心のある政策領域が異なることを述べていることにある。
内閣府調査では、議員として力を入れて取り組んでいる分野に性差がみられ、「出産・子育て、少子化対策」「介護・福祉」を半数以上の女性が挙げるが、男性の3割前後が挙げる「雇用・地域経済活性化」「農林・水産」については10%、6%にとどまる。
十分想定されることであり、こうした志向が変わらず続くことは、女性議員よウェルカム!と単純に歓迎することには繋がらない重要な要因となる。
政治課題・政策課題自体が多様であり、そのすべてを政党・政治グループは方針・政策・公約としてカバーする必要があるわけで、性差での関心分野・専門分野に偏りがあること自体が、多様性を排除していることを意味する。
女性議員にも、経済、財政・金融、環境・エネルギー、外交・防衛等の政治政策に関心をもち、常々情報発信もし、政策・立法提案も積極行う人材・人物が輩出してこその多様性であろう。
クオータが実現されれば自ずとその懸念は払しょくされるといえるだろうか。
クオータ導入による多様性実現も、理想とする多様性の具体的な事前の議論とある程度の基準設定がなければ、種々想定内外の問題が発生するのではと思う。
 なおこの項で、三浦氏は、反対に「女性」自身が女性というステレオタイプに押し込められることを避けること、アンチ・フェミニズムの女性の存在、政党間での女性議員の思考・行動・立ち位置の違い、市民社会の女性たちとの繋がりの広がりと変化などの問題や可能性について触れている。

3.クリティカル・アクター、リーダー及びロールモデルの存在とクリティカル・マス

 大きな足跡を残してきた女性議員は「クリティカル・アクター」と呼ばれ、変化を引き起こすことに成功した、と。
筆者はその編著『日本の女性議員 ー どうすれば増えるの(2016/4/8刊、朝日選書でその条件として、立候補する前から女性たちが抱える問題に覚醒し、女性の声を政治に反映させることを使命とする「コミットメント」があり、その上で「ポジション」を得ることで女性政策を実際に前進させることができ、ジェンダーに関するさまざまな問題に気付いていくために多様な女性たちとの「ネットワーク」が不可欠という、3つの条件を指摘。
1990年代以降の女性関連政策の一定程度の進展の背景に、このクリティカル・アクターの活躍があったと。
 また、女性議員数ではなく、トップに女性がなった場合どのような変化が生まれるか、何を変えるかという観点からの論述も少しだがスペースを割いている。
EUのみならず地域や政治体制を問わず、女性が大統領や首相等国家の首脳に就任した割合は7%とまだ低いが、大臣や知事・首長まで広げるとその例は数多い。
これにより、女性やより広い意味でのケアに関する政策が進むことや、女性リーダーが男性よりも協調的で包摂的スタイルを好むことが指摘されているとしている。
ただ、いきなり女性首脳が誕生するわけではなく、既に社会保障・社会福祉領域の制度基盤が整備されている環境があればこそのこと、という要素・側面があることを筆者は書き加えている。
 女性首脳に関するレポートについては、以下の書をお薦めしている。
◆ ブレイディみかこ氏著『女たちのポリティクス 台頭する世界の女性政治家たち』(2021/5/25刊・幻冬舎新書)
無論衆目の一致する女性リーダーが存在することは望ましいし、その存在・出現を期待したところだが、政治社会における歴史と現状はどうか?
古くは婦人参政権運動を推し進めた市川房江氏や社会党党首として1989年マドンナ旋風を巻き起こした土井たか子氏などが引き合いに出されているが、現代、そして三浦氏が求める像とは異にしているだろう。
では、福島瑞穂氏社民党代表、小池百合子都知事、立憲民主党蓮舫議員、同辻本清美議員等がロールモデルと認めることができるか、となると、なんとも寂しい。
ましてや自民党所属の女性議員においては論外だろう。
当然だが、本書で三浦氏は、現在の女性国会議員の個々人の評価についてはほとんど触れておらず、自民党野田聖子議員と高市早苗議員を閣僚・党役員経験者として記述するにとどめている。
 なおここでのテーマとしては、ある一定の水準を超えると突然質的変化が起きることを意味する「クリティカル・マス」を、女性議員の割合に突き合わせ、30%を超えた時がその時としている。
ただそれは最低ラインであり、その割合を超えるとマイノリティであるゆえの負のレッテルを気にすることなく、より自由に本領を発揮し、女性として束になって影響力を高めることができるから、と。

4.生活者としての女性と生活政治の転換

 男性の政治に対局させた女性の政治は、次の2つの面で限界を抱えていたと筆者。
1)「女性=生活者」というアイデンティティが性別役割分業を前提としていた
2)生活者というシンボルが革新から改革保守へとその意味内容を転変させる政治状況が、55年体制崩壊以降強まった
ここで「女性の政治」と表現されているのを見ると、どうにも違和感があるし、そう表現すること自体無理がある。
女性が男性優位の政治に挑むとき、しばしば男性政治へのオルタナティブを提示することにその行為の正当性を見出してきた、という例を、ここで挙げていることでもわかる。
それが「生活者としての女性」視点での政治的活動だったわけだ。
無論、この生活者アイデンティティに限界があること、あったことをこの後示しているのだが、一時的ではあるにせよ、「産む、育て、介護する」役割を担い、生活環境の維持との繋がる公害、過剰消費・健康問題、教育崩壊などに対する批判により「既成の体制に対する変革の政治意識と政治行動の契機」になりえたことを書き加えている。
 もう一つ、確認しておきたいのが「女であること」の強みについての記述。
「女であることが無条件に政治家としての優れた資質」は二重の意味を持つというもの。
まずは、性別役割分業を前提とし、生活に密着した争点は生活領域においてケア責任を担う女性ゆえの気づき、女性でなければ気づかないもの、という意味。
しかし、この資質そのものは、プラスとマイナス両側面を裏表としてもつものでもあり、絶対化できないことも明らかだろう。
もう一つは、女性であれば無条件にクリーンで、清廉潔白で高潔な政治を行うという本質主義的理解である。
しかしこれも一時的に認容されはしたが、根源的には、女性自身にも社会全体にも広がらなかった可能性があると。
生活者としての女性たちの運動がどこまで対抗運動として自覚を持っていたか、実態は生活保守主義が混じり合うものだったともしている。 
 「女性政治」の象徴的な時代は、土井たか子氏時代といえるだろう。
そこで体現された「生活政治」は、利益政治とは異なる政治を創り出すという方向性を示すものだったとされており、実態はそうであっても、自民党政権が無視できないものになっていったことも間違いない。
1990年代に入ると、消費者が加わった「生活者・消費者」として捉えられ、日本新党が掲げた「生活者主権」により、既得権益を打破する構造改革正当化の旗印に。
すなわち、リベラル(革新的)な価値に、ネオリベラルな価値が重なり、徐々にその新自由主義的方向にスライドしていったとしている。
 この後の動向については、次次項で受けることに。

5.リーンイン・フェミニズム批判とフェモナショナリズム批判

 先述の、女性リーダーやロールモデルとも関係する課題として、格差や貧困がコロナ禍で一層深刻化するなか、ジェンダー平等に向けた社会の推進力が高まり、ジェンダーと階層の交差について考えるべき複雑な対立構図が形成されているとしている。
一つは、リーンイン・フェミニズムとそれに対する批判であり、もう一つは、フェモナショナリズムとその批判である。
 リーンイン・フェミニズムとは、新自由主義が徹底した米英で、経済的に成功を収めた女性層が厚く形成され、女性の権利や地位向上を求める状況を意味する。
シェリル・サンドバーグが、「一歩前に踏み出す(リーンインする)」必要性を呼び掛けたことに拠るのだが、こうした、キャリア女性が「ハッピーなワーク・ライフ・バランス」を理想化する傾向を「新自由主義フェミニズム」と呼ぶとも。
上昇志向の強い女性が自己投資を通じて優良な人的資本となることを目指しつつ、再生産(妊娠・子育て)を自己責任として引き受け、健康に気遣いフェムテックを駆使し、良い母親業を営む。
こうした営みの実践者というわけだ。
日本の「女性活躍」キャンペーンがそのコピーかのように受け止められる可能性もなくはないが、本質は全く異なる。
男性バリに云々、ということではなく、先述の「生活者」視点での行動キャンペーンの色彩が強く、またフェミニズム自体が理解浸透していないことでも同様に受けとめることには無理がある。
加えて、貧困や格差問題の改善・解決が進まない、あるいは一層拡大する状況においては、この女性の権利要求運動への拒否感が、世界各国とその社会で広がり、フェミニズム批判に転じる要因にもなるわけだ。
 もう一つのフェモナショナリズム批判は、右翼ポピュリズムに見られる移民排斥主張にフェミニストが加担しているという批判。
ヨーロッパでは右派女性政治家が反移民政策を掲げることがあり、イスラーム文化は女性を差別と糾弾し、「女性の権利」を掲げてムスリム男性を他者化し、イスラムフォビアを助長する。
この構図が、ナショナリズムがフェミニズムの主張の一部を取り込むことから、フェモナショナリズムというわけだ。
日本ではどうかとして、高市早苗議員のごとく、タカ派女性政治家の軍事化支持とその背景の主張が、女性の共感を集めうることや、トランスジェンダーへの嫌悪感を煽ることで、「女性の安全」と結び付けて女性を取り込みを図ることなどを同質の例として示している。
もちろんこうした狭隘な実態を示しつつ、男性政治を補完する女性登用=トークニズムは、そもそもフェミニズムの名に値しない、と結んでいる。
 多様性を掲げる上では、日本にもリーンイン・フェミニズムを主張する女性経営者や女性リーダーが現れて欲しいし、それらをロールモデルと共鳴できる女性が増えていって欲しいと思うのだが・・・。

6.格差社会の拡大と左右イデオロギーとジェンダー問題へのそれぞれの取り組み

 前項の2つのアンチ・フェミニズムをめぐる世界的動向以前の日本の動向は、前前項の生活政治の転換と新自由主義の台頭を受けての時代の確認によることになる。
1990年代のマドンナ旋風、自社さ政権誕生でリベラル勢力が政権の一角を成し、ジェンダー平等政策には一定の進展があったと評価している。
 しかし、2000年代以降をたどれば、バックラッシュに見舞われ、女性の政治参画の行く手が阻まれた。「小泉チルドレン」「小沢ガールズ」と女性議員数は増えたが「政治的客体」としての登用にとどまり、自民党女性議員には、右派ないしアンチ・フェミニズム議員も目立つように。
「国民の生活第一」を謳いつつも保守的家族観を内包する政策が掲げられるなど、「生活」という用語が持つ「ライブリー・ポリティクス」的革新性は消滅し、生活保守主義が奇妙に混じりあった言葉の復活をみることになった。
こうした政治的状況下、バブル経済崩壊以降、低成長・デフレ経済の長期化で「生活」の維持さえ困難な「新しい生活困難層」(宮本太郎)が生み出され、格差社会の拡大化・問題化が現出されることになったわけだ。
2021年の衆院選では、野党共闘を支えた市民連合が野党4党と合意した「命を守るために政治転換を」、社民党は「生存のための政権交代」を掲げるなど、「生活防衛」を超えて「命や生存を保障する」政治が政策課題とされる状況にさえなっているわけだ。
この流れと問題は、当然、先述のネオリベをめぐる左右のイデオロギーの対立関係の中にも吸収、展開されていくことになる。
 政治における左右の対立にジェンダー争点がどのように絡むのかについて、もっと敏感になる必要があると三浦氏はいう。
ジェンダー平等を求める社会の圧力が高まった結果、右派勢力にとってもジェンダー平等への一定の譲歩は不可避であると。
しかし、性的自己決定権を欠落させたセクシャル・リプロダクティブ・ヘルスが部分的に実現するのみと予想している。
一方、左派・リベラル勢力がこんにちの文脈で女性の政治宣言を掲げると、土井時代に掲げられた「女性の全面的政治参加」「男女平等の労働権の確立」「女性の人権侵害・差別を許さない社会の実現」を含むジェンダー平等政策を中核とし、平和と格差是正を志向することになると三浦氏。
そして、女性政治家が増えた先にどのような社会が生まれるかは、政治の左右対立と絡みながら、どの政治勢力が権力を握るかによって異なり、主権者がそれを十分意識しながら政治参加を行うかどうかが、未来を決めていく、と。
やはり最後の結びは、情緒的・抽象的な表現に収まってしまうのが、やはり残念である。


7.政治主体としての女性とMeeToo時代の政治参加、女性議員増加による民主主義強化

長い間、男性たちが政治を占有し、女性を正面から扱ってこなかったことが女性を政治から遠ざけた。
フェミニズム運動もまた、男性優位の政党政治とは距離を置き、対抗運動を展開してきた。
さらに、個別事案を進めようとすれば、自民党長期政権下では、党に陳情せざるを得ず、「政治」による解決、すなわち自らが権力を取ることで解決するという志向性は女性たちのあいだでは希薄だった

この認識を示しつつ、「声を上げ始めた女性たち ー MeeToo時代の政治参加」という項で、最近の女性による積極的な、異議申し立てを含む、以下の社会的政治的活動を例として種々紹介している。
・2017年:伊藤詩織さんの性被害告発
・2018年:財務次官セクハラ事件、医学部入試差別等性差別に対する異議申し立て
・2019年:フラワーデモの広がり、性暴力サバイバーに耳を傾け刑法改正を求める運動が定着
これ以外に、若手女性アクティビズムの多様な広がりの事例も数多く紹介しているが、ここではハッシュタグ付きワードと活動名称をピックアップして書き留めるにしておきたい。
#KuToo #Voice Up Japan #Speak Up Sophia #Safe Campus Keio #なんでないのプロジェクト #No Youth No Japan #男女共同参画ってなんですか 保育園落ちた日本死ね!!! #保育園落ちたの私だ #保育園に入りたい 

なお、気になった文章として以下があったので、メモとして加えておきたい。
「日本の主婦たちには、政治の権力構造に入り込む場所が、物理的にもイデオロギー的にも見当たらない」(ロビン・ルブラン)

8.政治主体性を持つ当事者の広がりの先にある政党政治の刷新

 政治的主体性をもつ当事者の個別事案に関する市民による異議申し立て行動が広がることで、政治に影響を与えることは、これまでの関連法制化で見られるように、確かに可能であった。
しかし、部分部分の修正もしくは追加に終始し、抜本的で包括的・総合的な法改正には至っておらず、いわば男性政治の枠組みの中での、消極的で妥協的なジェンダー平等主義の後追い・追認に過ぎなかった。
そしてその傾向・方向性は、時にバックラッシュも引き起こしつつ、極めて遅い歩みになってしまうだろう。

 こうした状況と認識を踏まえ、三浦氏は本章、そして本書を以下のように総括している。
 ごくわずか原文とは異なるが、しっかり確認頂きたく、極力忠実に紹介させて頂いた。

広がりをみせてきた様々な当事者性に基づいた異議申し立ては、議会制民主主義の機能不全を補うかのように直接民主主義を実践するものであり、具体的な政治的要求ごとの離合集散を繰り返す社会運動の形をとっていた。
これを議会制民主主義再建へと接続するには、単発的な異議申し立ての受け皿そのものを刷新する試みが必要となる。そうした受け皿があってこそ、女性をはじめとする多様性のある議会が実現できる。
そして、その受け皿とは「政党」にほかならない

世界的に既存政党への不信感や批判が強まるなか、なぜまた政党なのか。
確かに政党は不人気で、堕落した政治の象徴のように思われてもいる。一方的に意見を押し付け、選挙の時だけ票を頼ってくる政治は気が滅入る。自民党は個人商店の連合会のような組織だし、野党は政治信念がどこまで本気なのか見えにくく、頼りなく映る。ましてや、社会の分断が進み、左右両極の小政党が乱立してくると、議論の前提を共有することが困難になってくる。

だからこそ、社会の多様な声を一定程度まとめ上げ、意味ある選択肢を用意するのは政党だけにしかできない役割ではないか。これまでの政党がその機能を十分に果たしていないのであれば、市民社会から鍛えあげ、創りあげる取り組みが必要である。

女性たちが様々な当事者性を手掛かりに政治主体性を獲得し、政治に対して声を上げても、政党の男性政治が変わらないために実際の変革へと繋がってこなかった。
変わらなくてはならないのは第一に政党であり、政党を変えるべくコミットしていく社会運動が立ち上がっていく必要がある。政党を忌避していては政治は変わらないからだ。

MeeToo時代の政党政治の課題は、様々な「当事者」を結びつける包摂的な社会のビジョンを構想できるかどうかであり、それには当事者による政治的意見表明を束ねていくことができる公共空間が欠かせない。その公共空間に政党もひとつのアクターとして参画し、市民とともに新しい政党政治を創り出す主体となる必要がある。市民と政党の新しい関係性の中核にジェンダー平等と多様性を据えることが、男性政治を打破する鍵となる。男性政治の打破は民主主義の刷新とともにあるのである。

<第7章>から、まとめ

単発的な異議申し立ての受け皿は「政党」しかないのであり、その刷新が必要という認識は、正しいと思う。
既存政党にその役割・機能を果たして望めるのか。
そうではないゆえに、筆者は、市民社会から鍛えあげ、創りあげる新たな取り組みが必要としているわけだ。
その「市民社会」とはいかなるものか、どのように創り上げていくのか。
その具体的な方法・手法に及んでいないことが筆者の限界であること、そして本書の主張の限界でもあることに、ご自身がどのように感じていらっしゃるか。
また、現代そしてこれからの時代を「MeeToo時代」と呼ぶ、あるいはなぞらえることには疑問を持っている。
決してそれが普遍的で、包摂的な括り方、表現法ではないと思うし、声を上げることができない、あるいは上げない女性やマイノリティの方々も多く存在するからだ。
こうした人々も含めた「市民社会」は、結構つかみどころがなく、組織化・ネットワーク化は簡単ではない。
調査研究でつまびらかにできるものでもなく、ある意味調査そのものも困難かもしれない。
となると、市民社会から鍛え上げ、創り上げるプロセスではなく、当初からリーダーシップを保持・保有する、政治指向グループ・政党を用意しておく方法が考えられる。
むしろそれしか方法がないのでは、とも思う。
そしてその主役・主体は、当然女性であるべきだろう。
多様性を掲げる政治であるならば、その中に、女性主体の政治グループもしくは政党があっても良いのではないか。
既存政党の刷新など、結局外野から、あるいは観客席から叫ぶだけで、他人任せになってしまうのだから、いつになるかわからないし、その方向にモデルチェンジする政党が出てくれば、それはそれで信用・信頼を失うことにもなりかねない。
まあ政策総取り換えが必要になるから、そんな政党が現れるはずもない。
そんなことは三浦氏もとうにお見通しのはずと思うのだが。
女性政治は、ジェンダー平等に反することになるか?
三浦氏はどう判断・判定なさるか、にも興味関心がある。
もう一つ、蛇足ではあるが最後に付け加えておくと、「多様性」をキーワードにすることもこの先の困難を余儀なくする可能性、リスクが高いということ。

次回は<第8回>最終回。
本書を総括し、併せて、男性政治ではなく、女性政治実現の必要性とその方法について私の考えを述べることにしたい。

『さらば、男性政治』の構成と当シリーズの進め方

 <第1回>:起①
 第1章 男性ばかりの政治
 1)女性はどこにいるのか?
 2)権力の座に女性はいない
 3)ジェンダーギャップ指数121位(2020年)の衝撃
 4)女性の政治参画はどこまで進んだか? ー 世界の動向
 5)停滞する日本
 6)世界の保守政党と自民党
 7)中断された「左からの伝染」
 8)なぜ女性議員は衆議院よりも参議院に多いのか?
 9)地方議会における地域格差
 <第2回>:起②
 第2章 20年の停滞がもたらしたもの ー ジェンダー平等後進国が作り出した生きづらさ -
 1)ジェンダーとは
 2)世銀「女性・ビジネス・法律」レポートに見る立法の停滞
 3)「賃金」と「職場」における低いスコア
 4)SIGI指数とは
 5)女性差別撤廃委員会からの勧告
 6)女性の地位と階層、教義的装争点
 7)ジェンダー平等政策の進展度を比較する
 8)なぜ選択的夫婦別姓とセクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツは進まないのか?
 9)男性稼ぎ主モデルからの脱却?
 10)ジェンダー化された共稼ぎ型へ
 11)進む子育て支援策とセカンド・シフト
 12)深刻化する女性の貧困
 13)日本人は何を選択してきたのか?
 14)社会民主主義という選択肢の不在
 <第3回>:承①
 第3章 女性を排除する日本の政治風土と選挙文化
 1)男性政治と地元活動
 2)政治家はなぜ夏祭りに来るのか?
 3)選挙と対面主義
 4)世界で増える政治家の地元活動
 5)地元活動とジェンダーの影響
 6)#飲み会を断らない女
 7)男性化された政治家モデル
 8)地元が政治家に求めるもの
 9)ガラスの下駄を履く男性
 10)議場から追い出された赤ちゃん
 11)政治は男性のもの? ー 変わる意識
 12)女性の政治参加は低調?
 13)隠れたカリキュラム
 14)女性を排除する政治はなぜ続くか?
 15)地域単位の政治からの脱却
 <第4回>:承②
 第4章 女性に待ち受ける困難 ー 障壁を乗り越える ー
 1)政治家になるための障壁
 2)「応募してくださらない限りは選びようがない」
 3)自ら手を挙げる男性、声をかけられる女性
 4)自信の壁とインポスター症候群
 5)資源のジェンダー格差 ー 家族・時間・人脈・資金
 6)議員報酬と供託金
 7)ステレオタイプとダブル・バインド
 8)ステレオタイプは選挙に不利か?
 9)女性性が資源になる時
 10)女性という切り札
 11)ステレオタイプの効用
 12)コロナ禍は女性リーダーのイメージを変えるか?
 13)優れたリーダーとジェンダー規範
 <第5回>:転①
 第5章 ミソジニーとどう闘うか
 1)女性政治家へのハラスメント
 2)政治分野における女性への暴力
 3)女性を排除する動機
 4)なぜ性的な形態を取るのか?
 5)ミソジニー ー 女性を罰する
 6)「からかい」という暴力
 7)オンラインハラスメント
 8)票ハラ
 9)ハラスメントを法的に規制するには
 10)海外のセクシュアル・ハラスメントの法理
 11)政治におけるハラスメントの特殊性
 12)地方議会におけるいじめ
 13)バックラッシュの波
 14)ジェンダーという言葉が使える時代へ
 15)家族への介入
 16)男性問題
 17)新しい男性性に向けて
 18)好意的性差別態度と悪意的性差別態度
 19)現代的性差別態度
 <第6回>:転②
 第6章 なぜクオータが必要か
 1)世界に広がるクオータ
 2)クオータの効果
 3)クオータ反対論への反論
 4)クオータか環境整備か
 5)なぜ数にこだわるのか?
 6)誰がクオータを支持するのか
 7)候補者均等法の意義と課題
 8)政党がすべきこと① ー 数値目標
 9)政党がすべきこと② ー 候補者選定過程の改善・人材育成・ハラスメント防止
 10)国の責務
 11)地方議会の責務① ー ハラスメント対策
 12)地方議会の責務② ー 環境整備と人材育成
 13)積み残された課題① ー 数値目標の義務化
 14)積み残された課題② ー 地方議会
 15)根本的な見直しを
 <第7回/第8回>:結①②
 第7章 ジェンダー平等で多様性のある政治に向けて
 1)女性議員が増えることのメリット?
 2)男女で異なる政策への関心
 3)女性議員の増加とジェンダー平等政策の進展
 4)女性議員が切り拓いた政策
 5)クリティカル・アクター
 6)クリティカル・マス
 7)女性議員の増加と民主主義の強化
 8)女性リーダーは何を変えるか?
 9)ロールモデルが存在する意義
 10)生活者としての女性
 11)「女であること」の意味
 12)「生活政治」の転換と新自由主義の台頭
 13)格差社会と生活
 14)リーンイン・フェミニズム批判は日本の現状に妥当するか?
 15)フェモナショナリズムの批判とは
 16)左右イデオロギーとジェンダー
 17)声を上げ始めた女性たち ー MeeToo時代の政治参加
 18)当事者という政治主体
 19)声を聴くのは誰か?
 20)政党政治の刷新に向けて

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